欄干少年



 マフラーの仄かな温もりが有り難いと思えるような、風が身を裂いていくような夜のことだった。通過する電車の多い線路の脇を歩きながら、排気の渋みに目を細めつつ、ふと視線を持ち上げると、その先の陸橋の中央に、一人の少年が欄干に肘を付いて体重を預け、線路を眺めているのが見えた。
 その瞬間、ぞ……、と嫌な予感がしたのが正直なところで、僕は流石に無視して行くわけにもいかず、ゆっくりと階段を上り、橋の中央に進んでいった。
「何を、してるんだい」
 補導員じゃあるまいし、と己の呼び掛けに苦笑しそうになる。
「星を見てたんだ」
 少年は、白く息を吐きながら答えた。コートを着ているが、寒そうだ。
「本当に?」
「本当、本当」
 茶化すように訊くと、屈託のない笑みが返ってきた。僕が続けて言う前に、
「お兄さん、随分長いマフラー、してるんだね」
 僕の肩から長く余った襟巻きを手に取って、口元で笑む。
「半分分けてもらってもイイ?」
「……どうぞ」
 どうやら会話の主導権を奪われてしまったらしい。何やら妙に嬉しそうな顔で首に巻き付けると、あったかいね、と歯を見せて笑った。人懐っこい子だ。心配は杞憂だっただろうか。
「空、結構明るいんだよね」
「あまり星は見えないだろう、こんな街の中じゃ」
「そうだねえ」
「星に願い事を?」
「それ、無駄なロマン」
「夢がないな」
「夢は見るだけじゃなくて、叶えるためにあるんだよ」
「それは、ごもっとも」
 マフラーを撫でながら、少年は身長差のある僕を上目遣いで見る。
「人恋しいの?」
「何を突然。……まあ、そんな日もあるな」
「あるよね」
「ああ。……何かが得られるとは限らないけれど」
「でもさ、一緒にいると暖かいよね。それだけで十分だと思うな」
「成る程」
 顎まで埋めたマフラーは、喋っていると少しずつ温かくなってくる。
 だから、それに便乗して冷たくならないような声の調子で、
「飛び降りは綺麗じゃないと思うぞ」
 僕が告げると、彼は一瞬絶句して、そして僅かに見上げる視線で、
「なんだ、そんなことを考えていたの? ……ぼくは大丈夫だよ」
 少しだけ悲しげな微笑みを浮かべて僕を見た。
「そう」
 僕は肩を竦めてそれに応える。
「もう少しで、大丈夫じゃ、なかったかもしれないな」
「だからぼくは――」
 弁解を繰り返す少年に、
「きみでなく、僕がさ」
 僕は短く告白した。
「え?」
「僕は、そのつもりでここに来たんだ。けれど……、今夜は止めておこうかな、と今思ってね」
少年は目を見張って僕を見つめていたが、やがて表情を柔らかく解き、
「……うん、それがいいよ」
 そっと、言うのだった。僕はやはり短く返す。
「きみもね」
「だから、大丈夫だよ。それとも、次に会ったときのために、マフラー、預かろうか?」
 そう言われてはお互い、予定を中断せざるを得ない。
「そうだな」
 僕は言って、長いマフラーを少年に渡した。
「やっぱり、長いね。……もうしばらく、半分預けておきたいんだけど、いい?」
 たっぷりの布に顔をうずめて、少年は僕を見上げた。


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