「けれどさ」
彼はポッキーの箱を開けながら言った。
「別にきみだって、昼食しか食べずに生きているわけじゃないだろう?」
「そりゃあ、ね」
向けられた箱から一本取って、僕は頷く。同じように一本口に銜えて、
「コウタが、自分の良いように誤解したんだろうね、きっと」
縁無しレンズの中の目を細め、彼はポッキーをゆらゆら唇で揺らしながら言う。
「そうかな」
「今は特に偏食の時代だって言うよ。いつでも好きなものが好きなだけ手に入るようになったからね。極端な話、お金さえあれば自分の好きなものだけ、好きなように食べていられる。その反面、食わず嫌いの幅も必然的に大きくなるわけだ。お腹が空いたら別のものを食べれば良いだけの話なんだから」
「確かに」
ぽりぽりと長細い菓子を噛みながら、僕は相槌を打った。
「食材を仕入れて自分で料理するよりも、出来合いのものを買って来て食べた方がコストが掛からない場合もある。或いは、多少栄養のバランスが偏っていたとしても、廉価なインスタント食品でやり過ごす方が楽で良い、そう思う人も少なくないと思うよ。ましてや、これだけサプリメントが溢れているんだもの、幾らでもフォローが出来るってものさ。…ね、コウタ」
ポッキーが上を向いた。彼が口元を僅かに持ち上げたからだ。
「聞いてるんだろ? 耳がこっちに向いてる」
「ケイゴっ」
彼に向けて、即座に第三者の突っ込みが入る。
「オレを犬か猫みたいに言うなよ」
そう応えたのは、他でもないコウタの声だ。
「そういう、もっともらしい冗談を言うなって、いつも言ってるだろ」
彼の反応は思考の範疇にあったらしく、ケイゴは薄い笑みを浮かべる。
僕とケイゴが話しているのは、コウタの家のダイニング。
金曜の夜である。弁当を作ることを申し出たコウタは、自分の料理の腕を信じさせようと、僕を引っ張るようにして自分の家に連れてきた。
「けれど、お兄さんがいるだろ」
僕が言い訳を探してそう言うと、
「大丈夫、兄貴は今夜バイトだから、今日は夕飯いらないんだ」
そう返されて、逃げられなくなった。
一人だけ御相伴に預かるのも気が引けたので、遠慮に遠慮を重ねていると、
「じゃ、ケイゴも呼ぶよ」
雪崩式に、…そういうことになったわけだ。
コウタの友人――それとも悪友と呼んだ方が正しいだろうか――、ケイゴのことは、僕も知っていた。彼がウェブサイトの管理人を務めていて、先の掲示板への書き込みは、まさにそのサイトの媒体だった。ある意味では、僕とコウタを結びつけた仲介人だ。
そのケイゴは、実際には初対面の僕にも臆面もなく話し掛けてきた。まるで僕のことを以前から知っていたかのようで…、多分、コウタが僕のことを話していたからだとは思うが、第一声が、
「目、見せてくれないかい」
だったのには少し驚いた。
僕がオッドアイだということをコウタは知っているから、それも彼から聞いたことなのだろうけれど、僕の目について、あまり他人に軽々しく話すような種類のことではないとコウタも自覚しているはずだと思っていたから、ケイゴという少年は、コウタにとって信用に足る人物なのだろうと合点がいった。
見た目は割りと普通の、どちらかと言えば優等生タイプの少年に見えたケイゴだったが、一度口を開かせれば一癖も二癖もある男だということが直ぐに理解出来た。
ぱさりと髪を掻き上げられ、覗き込むように僕の両目を見た彼は、
「まるでキメラみたいだね」
そう言ったのだ。
誰がそんな感想に対し、言葉を返せるだろうか。
「綺麗じゃないか。僕は好きだけれどね」
続けて告げられた、そんな声にも。
コウタと共に玄関に出向いた僕に向けた第一声は、先の通りだ。それだけでもう、彼が変わった男だということは分かった。
ケイゴは、菓子の詰まったコンビニの袋を持参して現れた。
ご飯の前にそういうものを食べるなよ、と念を押すようにコウタが言ったのに、あっさりと禁を侵してケイゴは菓子の箱を開ける。
割と唯我独尊的な性格をしていると思う。それが嫌味になっていないのが不思議でたまらない。きっと、コウタをからかうのが楽しいのだ。コンビニの菓子は、それだけのために持ち込まれたのかもしれないとさえ思う。
「もっともらしい冗談? 僕はいつも真面目だよ」
キッチンの方から、何かを炒める音と、良い匂いが漂ってくる。自分で料理が得意だと言うくらいなのだから、もしかしたらとは思っていたが、どうやら本当に一通りの食事を作っているらしい。
だとしたら…、
「嘘ばっかり…、って、ああっ! 食べるなって言ったのに!」
僕らが菓子を銜えているのを見咎めたのだろう、コウタは怒鳴った。パタパタとスリッパがフローリングの床を擦る音が響く。
思わず、びくん、と身体が引き攣った。
確かに、彼にしてみれば、『オレの作ったゴハン、食べる気がないのかよっ』といった心情なのに違いない。失念していたな、と、恐る恐る振り向いた僕は、
「くっ…」
駄目だ。
笑っちゃ駄目だ。そう思うのに、
「く、くくく…」
笑いを耐え切れず、吹き出してしまった。
ソファの後ろから僕たちを見下ろすコウタの格好は、ブルーのエプロンに三角巾代わりのバンダナ姿という、ファミレスの調理見習い、というよりも、学生食堂のお手伝いさん、という風貌だったのだ。
それが、僕の抱いていたコウタのイメージとあまりにギャップがあって、
「笑うなっ。笑うなぁ!」
久方ぶりに涙まで出そうになった。
「分かった。もう笑わない。笑わないから」
腹を片手で押さえながら、僕はもう一方の掌をコウタに向けた。
腹筋が痛い。こんなに可笑しいと思ったのは久しぶりだ…。
いつの間に着替えていたんだ、コウタ。
僕の横で、澄まし顔で、歩ッキーを食べ続けているケイゴが信じられないくらいだった。…案外、腹の底では大爆笑をしているのかもしれない。それくらいの取り繕いはしてみせる奴だと、僕は見て取っていた。
「…そもそも。オレの良いように誤解した、って、どういう意味だよ」
そうやって話を蒸し返したのはコウタで、
「きみは、ムツミくんにお弁当を作りたかったんだろ? 厚意なのか好意なのかは分からないけれど。それに何か理由が必要だっただけだよ」
あっさりとケイゴは答えてみせる。
「コウ…? なんだよ」
「後で辞書引きなさい。彼女より先に男友達に弁当のプレゼントなんて、輝かしくて涙が出るね」
「変な言い方するなって、どっちにしても、それ、詭弁じゃないか」
「それを言うなら、きみの方こそ。そういうのを、世間では余計なお世話、って言うんだよ」
「…ムツミ?」
恨めしそうな顔で僕を見るものだから、僕は慌てて首を振った。
我関せず、といった面持ちで、しかしケイゴの言葉はしっかりと的を狙っている。
「大体、金曜日の昼に『弁当作ってきてやる』なんて、タイミングが悪いにも程がある」
それは、確かに。おかげで、今夜こうして予期せぬ『お食事会』と相成ったわけだ。
「悪かったな、考えなしで!」
「その通り。きみは考えなしだよ、コウタくん」
「う…、そんなにきっぱり言うかよ」
「それを自覚しているだけ、きみは利口だと思うけれどね」
「それ、褒めてるのか、けなされてるのか分からないよ」
「だったら、褒められてると思っておけばいい」
「…けなされてるような気がする」
コウタは自信のなさそうな声を上げた。
「じゃあ、そうなんじゃないのか?」
「ケイゴぉ」
直裁に告げられて、呆気なく情けない声を上げる。
「ムツミだって分かってくれたのにさ」
聞いていて飽きない漫才だな、と思っていると、矛先が突然こちらに向いた。
「だって、って、どういうことだよ」
つい言い返す。
「うー…」
口籠るコウタに、ケイゴの追い討ちが掛かる。
「きみは物事を悲観的に考える癖、ないかい? もっとオプティミスティックに生きなきゃね」
「どーしてそーいう話になるんだよ」
「僕はきみのことを心配してやってるだけだよ」
お前のことを心配してる。同じ言葉でも、コウタと彼が言うのとでは、どうしてこうニュアンスが違って聞こえるのだろう。
「だったら、そうやってオレのことからかうのやめてくれよ」
「どうして? こんなに面白いこと、滅多にないよ」
「嘘つきッ」
コウタの噛みつきにも、
「とんでもない。僕はその辺の奴よりは随分、自分に正直だと思っているけれど」
ケイゴは澄まし顔でサラリとかわす。
「それ、オレのこと玩具扱いしてるってことじゃん」
「キミが思うのなら、そうなんだろう、きっと…」
見るに見兼ねて、僕は助言してやった。ケイゴの口調を真似て、
「というか、…自分に正直だけれど、他人に嘘を言うのは窮しないんだろう、きっと」
「分かってるじゃないか」
うんうん、と頷くケイゴ。
「ケーイーゴっ」
「フライパン、いいのかい」
どうしてそこでフライパンが出てくるんだ、と一瞬思ったが、キッチンから漂ってくる、少々香ばし過ぎる匂いで、その要因が分かった。
「ああっ、焦げちゃう!」
慌ててキッチンに駆け戻ったコウタは、
「あっぶなー…」
火を消し、危ない危ない、と安堵の息を付いていた。
「じゃ、これ片付けちゃおうか」
ケイゴは、コウタが僕たちに背を向けたのを確認すると、チェシャ猫のような笑みを浮かべて、再び僕にポッキーの箱を差し出した。
色々な意味で、彼には勝てないような気がした。
掌を向けておいて、
「きみは…、いつもコウタにそうなのか?」
僕は何となく気になって、そう訊いてみる。
「なにが?」
「…今分かった。その、自分は何も悪いことしてません、っていうような態度も一つだな。…さっきみたいに、押して引いての問答。丸っ切り、コウタを手玉に取ってる」
「さあね。でも、コウタは僕にとって一番の遊び相手なのは確かだ」
コウタはケイゴの玩具、というフレーズが思わず浮かんだが、無理矢理、妄想の産物だと思考の片隅に埋めてしまうことにする。
「ま…、好きにしてくれ。…苛めない程度に」
僕はそう言うしかなかった。
コウタと一緒にいて、確かに見てて飽きない奴だな、とよく思う。それはきっと彼の長所と呼べる性格なのだろうし、独占欲が強い奴がいたら、傍に置いておきたくなるのかも知れない。
けれど、それが正に彼を玩具扱いする、欲望に近い感情なのだと思うと、苦笑いを隠し切れなかった。
「好きか嫌いかの二者択一で物事を言うのはどうかとも思うけれど…、コウタは自分にとってどちらかと訊かれたら、僕は迷わず前者を選ぶね。きみだって、そうだろう?」
不意に、ケイゴはそんなことを口にした。
それは誘導尋問だ。自分の名前が話の中に出ていて、その当事者であるコウタが聞き耳を立てていない保証なんて、何処にもない。
「…そうだな。僕もコウタのこと、嫌いじゃないよ」
「素直じゃないね」
彼は、笑いの種を植えたがっているのだと確信した。そんなに僕に『コウタが好きだ』とでも言わせたいのだろうか。…大きく誤解されるぞ、それは。
「好きなんて言葉、簡単に口にする奴もいるんだな、これが」
「誰――」
言い掛けて、止めた。確かめるまでもなかった。
「よーし。出来たよ、二人とも」
バンダナを解きながら、コウタがキッチンから笑い掛けた。
「賭けてもいいよ。…言いそうだろ?」
声を潜めて、ケイゴは言った。
「…確かに」
問題は、その言葉の相手が誰かだ。
今の所は…、僕は勘弁して欲しい。
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