二つ目の冴えたやり方


 驚いたのは、しっかり一汁二菜だったからだけではない。流石にそこまで見くびってはいなかったが、コウタの用意した食卓を目にして、それだけで僕は絶句していた。
 その夜の献立は、筍の炊き込みご飯(丁寧に三つ葉を添えたもの)、若芽と豆腐の味噌汁、鶏肉の刻み生姜焼き、ほうれん草と小松菜の胡麻和え…。
 食欲をそそる良い匂いが、テーブルの周囲に充満していた。
「これ、本当にお前が作ったのか?」
 つい、本音が出てしまった。正直信じられなくて。
「なんだか、騙されているような気がするのは僕だけか…?」
「失礼だな。ちゃんと全部、オレが作りました」
 憮然とした声で応えつつも、人を驚かすのに成功したときのような顔で、
「ムツミのために作ったようなものだから。口に合ったら嬉しいんだけど」
 コウタは僕に椅子を引いてくれまでした。
「参ったな…」
 ものを食べるのがあまり好きではない、なんて本音を漏らしてしまったばかりだった手前、中途半端に豪華な食事を用意されて、最初は戸惑うばかりだった。
「…いただきます」
 が、食べずにいるわけにもいかないと、箸を取り、有り難く頂くことにする。
 一品一品、ゆっくりと咀嚼する様子を、コウタは始終、興味津々といった瞳で見ていた。それこそ『固唾を飲んで見守る』といった目付きだったので、正直、最初の一口は柄にもなく緊張してしまった。
「うん、美味しい。流石コウタ。家庭科模範生は伊達じゃないね」
 ケイゴの感想に、コウタのエプロン姿を反芻してしまい、危うく吹き出しそうになりつつも、僕も素直にコウタの味を楽しんでいた。
「言うなってば。…ムツミ、どう? 美味しい? 不味い?」
「…ああ。美味しいよ」
「正直に応えてくれよ?」
 今日のコウタは疑り深い。
「嘘は言ってないよ。自慢出来る腕だと思うぞ、コウタ」
「――良かった。もうオレ、緊張しっぱなしでさぁ」
 大仰に安堵の息を付いて、コウタはようやく笑みを見せ、自らも箸を手に取った。
 本心から、どれも、本当に美味しかった。久しぶりに、食事を『美味しい』と思えた。これはコウタの功績だったと思う。
「ごちそうさま」
 僕は偽りのない賛辞をその言葉に沿え、
「お粗末さまでした」
 少し誇らしげに、満足そうに、彼も応えた。
 コウタが煎れてくれたお茶を飲みながら、しばらく取り止めのないことを三人で話した。
 ケイゴの管理するウェブサイトに出没した風変わりな人物についてのエピソードや、今夜の献立に付いてケイゴが尋ねたことに、逐一嬉しそうにコウタが応えたり。
「月曜にも、ムツミに喜んでもらえるように頑張るから」
 件の弁当のことだ。コウタは腕まくりでもしそうな勢いでそう言って、僕は少し困ってしまった。

「そろそろ僕は失礼させてもらおうかな。金曜の夜ってのは色々あるからね」
 思わせぶりな言い方で、ケイゴは帰宅をほのめかす発言をする。週末の夜、彼の運営するウェブサイトの管理人として、これから忙しくなるところだろう。
「じゃあ、僕も…」
 彼に続けて辞すことにした。
「今日は有難うな、コウタ。変な言い方だけど…、嬉しかったよ」
「あ、…うん」
 少し照れくさそうに、頭に手をやりながら、コウタは頷いた。
 靴に紐を通して、玄関から外に出る。夜の帳はすっかり落ち切っていて、心地良いまでの闇の色が辺りを覆っていた。その中に、ケイゴの白いシャツが淡く浮かぶ。
「ムツミくん。後ろ、後ろ」
 言われて振り返ると、玄関の軒先にコウタが立っていた。
「話があるんじゃないのか? 聞いてやりなよ。…じゃ、僕はお先に」
 後ろ姿で手を振って見せつつ、ケイゴはコウタ家から離れていく。
「何か、忘れ物でもしたか、僕?」
 コウタに軽く尋ねると、彼は穏やかに首を振った。
「用がないなら、これで帰るけれど」
 振り向いた上半身を戻して、ケイゴの後を続こうと踏み出そうとした瞬間、
 タタッ、と、サンダルらしい突っ掛けの音がして、シャツの裾の端が指先で引き止められた。
「ちょっと…、待って」
 小さな声でコウタは言う。けれど、なかなかその先を言い出さないことに焦れそうになる。言葉の先を促すのを、僕は堪えた。
「そのままでいいから、…聞いてくれるか?」
「ああ。…弁当の献立なら、好きにしてくれていいぞ」
 冗談めかして言ったが、
「ん…、そうじゃ、ないんだけど、さ」
「どうしたんだよ。お前らしくないな」
 すると彼は、ギュッと袖を掴んで、
「ゴメン…」
 ポソッと、言った。背中に、コウタの額が押しつけられた。
 その声は微かに震えていて、…いつかに聞いた、彼の嗚咽混じりの謝罪に似ていて。
「…コウタ」
 僕は、彼に呼び掛けていた。
「前にも言っただろう? そんなに簡単に、謝らないでくれよ。…僕は、そういうとき、どういう顔をすればいいか、分からないんだ」
「変な顔したって、見えないよ。バカ」
「…もしかして、泣いてるのか」
 背中で、彼が首を振ったのが分かった。
「泣いてるわけじゃないよ。…けど、ゴメン」
 意地を張るように謝り続けるコウタの声が、身体を伝わって胸に響いた。
「聞いてやる。お前の言う通り、このままで良いから。…どうしたんだ?」
 僕が言うと、彼は一瞬だけ戸惑うように息を吸い、応えた。
「オレ…、いつもムツミに迷惑じゃ、ない?」
 コウタの発言は、いつも突然だと思う。
「なにがだよ。被害妄想か? ホントに今日のお前は、お前らしくないな」
 笑い飛ばそうとして、失敗した。
「オレ…。向こう見ずな奴だからさ。もしかしたら、自分のことばっか考えてて、ムツミのことまで思いやれてないんじゃないかって…」
 彼が何を言いたいのか曖昧なままだったが、それは次の言葉で知れた。
「だって…、ムツミには、ミサキとのことがあっただろ?」
 ミサキ。
 僕の弟だ。僕と同じ、遺伝子の変容部分を持って生まれたことで、血友病と心臓病の併発という、日常生活に支障を及ぼすほどの病棟生活を続けていた。
 その彼が死んだのは、まだほんの三ヶ月前のこと。僕とコウタが会えたのは、皮肉にもそれが一番の切っ掛けだった。思い出という名の過去としてのアルバムに収めてしまうには、まだ時間が近過ぎる。
 弟の身辺整理は、敢えて未だ、進めていない。
「オレ、分かっちゃったんだ。ムツミって、今、一人暮らししてるんだろ?」
 心に針を刺されたような痛々しい口調で、コウタは告げた。
「…ああ」
 そう。僕の両親も、共働きなのだ。コウタと殆ど同じ、近所とは呼べない所に勤務している。彼と違うのは、『しててしてない一人暮らし』の現実的な差異。
 近場に親戚がいて、僕に何かあったら、そちらに厄介になることにはなっている。けれど、僕は誰にも余計な迷惑を掛けたくないと思っている。それはもう、単なる意地っ張りの精神なのかもしれない。苦しい思いをするのは自分だけで十分だと。精一杯最後まで生き続けた弟の分まで、僕は自分の力で生き抜きたい。そう思っているのだ。
 けれど、ほんの時折、空しくなる。生きるために呼吸をし、心臓の鼓動を促し、栄養を摂るためだけに食事をする。その本質には、身体を生き延びさせるためだけに点滴を打ち続けることと同じ精神が介在しているように思えて。
 昼休みになると学校の屋上に行って、一人で味気のないパンで昼食を済ませるようになったのは、弟の死を自身の内側で消化しきってからのことだ。けれど、そう思っていただけで、意外な形で、僕の心には微妙な形の傷が残っていたらしい。
 ああ、そうだ…、と思った。
 非があるとすれば、それはいつも僕の側の問題なのだ。コウタは何も悪くないのに、自分のせいではないか、と正面から思いと向き合う素直さを持っている。それは勇気に等しい心の有り様ではないだろうか。
「また、来てくれるか? 別に、何でもいいんだ。今日みたいにご飯食べに来てもいいし、普通に遊んでも、勉強するのでも、一緒に、色々やろうよ」
「コウタ?」
「オレも…、一人は、時々寂しいからさ」
 その言葉の意味を理解するより前に、
「それだけ! …じゃ、またな、ムツミ!」
 直ぐにいつもの調子の良い口調で言い切って、コウタは離れた。
「え、おい――」
 振り向くと、そこにはもうコウタの姿はなかった。直ぐ様、バタン、と玄関の扉が閉まる音が聞こえ、僕は溜め息を付く他ない。後には、コウタの握り締めたシャツの裾の跡だけが残っていた。
「やれやれ…」
 多分、僕も既に彼に毒されてしまっているのだ。
 ケイゴの告げた台詞が、今更ながらに思い出され、僕はこっそりと笑った。
 僕がこうして生き続ける限り、僕の周囲の時は流れ続けている。けれど…、時間というものは、概念の上でしか存在しない、形のないものだ。だから本当は、流れて先に行こうとしているのは、この世界の僕たちの方だ。世界は常に、この瞬間がその存在だ。それを認識出来るか出来ないか、という違いだけが、ここにある。
 常に前向きで、なんて、わざとらしい無理をしなくてもいい、ただ、その場に留まることで満足し、諦めてはいけないのだと思った。何もしないことが、そのまま安定へと繋がるとは限らない。
 ミサキは、…それを知っていたのかもしれない。
 煙草、止める努力をしてみようか、なんて、どうでもいいようなことを考えながら、僕は帰途に就いた。
 僕は、足を踏み出す機会を探っていたらしいが――、
 一歩目としては、それも案外、悪くない。


("Misty Mission's Meadow Second" is closed.)


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