ミッシング・スレッド


 それから数日、オレは少し…、いや、かなり意気消沈とした日々を送っていた。
 あまりに日常とアンバランスな出来事に遭遇してしまった偶然と、それに自身が一部介入していたのかもしれないということに対する必然への思いの狭間で、少しナーバスになっていたんだろうと思う。
 なまじ、中途半端に相手の情報を手にしているだけに、その事実を確認する術を持ち合わせていないオレは、当初、相当の焦りを抱いていた。メールアドレスを知っているとはいえ、それは実際の住所や電話番号とは違って、相手の所在地を確かめるには普通、役立てることは出来ないものだ。アドレスの媒介をしているプロバイダに身元の確認を頼もうにも、一介の個人がプライバシーに踏み込もうとする行為が安易に許されるものでないことも、分かっていた。
 その点では、メールアドレスというのは市外局番を教えられていない電話番号に似ている。違うのは、ミサキの所在を決定付けるその先の要素を、オレが持っていないということ。電話番号ならば――難題ではあるが――、少なくとも市外局番が分かれば、大体の地域までは限定出来る。しかし、一種のパスワードとして自由に個人が決められるメールアドレスとなると、話は異なる。
 もう既に、使用者がいないのかもしれないパソコンに向けてメールを発信しても、それを本人が読む保証がないのでは話にならない。逆に、事実関係の有無がオレの解釈と異なっていたのだとしても、送ったメールに対する相手側からの何らかの反応がない限り、オレには相手の存在を確認することが出来ない。電子メールとは、そういうものだ。
 気軽に相手に送ることが出来るが、それを確実に相手が呼んでいるかどうかを確かめることが出来ない、という点は、従来の書簡と性質が同じだ。だから、『先刻メールを送ったんだけど、読んでくれた?』と、メールを送った直後に電話で確認をする、なんていうアナクロな笑い話が存在するのだ。
 だから、直接的な通信手段としての電子メールは、電話に未だ勝てない部分がある。携帯電話が異常だと思えるほど普及したのは、やはりその名の通り、携帯性にあると言っていいだろう。どんな暇な人だって、一日中、電話回線に繋がった家のパソコンの前に座って、メールに返信する心構えをしているわけではないのだ。それは今までの電話や、勿論書簡に付いても同じように言える。
 思考回路は一瞬一瞬の判断と思惟が取り混ぜられて機能しているから、それを文面にして書き出し、送り出すネット上の遣り取りは、完全なリアルタイムとは言えない。また、自分が言った言葉を即座に取り消すことも出来ない。どう頑張っても、若干のタイムラグは生じる。
 多分これが一番厄介なことだとオレは思う。現時点でのオレを、この上ない苦渋と焦りの念に追い遣っているのが、まさにこの性質だ。
 一家に一台、と言われ始めたパソコンだけれど、それを手足のように操ることが出来る人は、それこそエンジニアを自称出来る人のことだ。殆どのユーザーは、機械としてのパソコンに使われている。勿論、このオレも。
 だから…、オレには待つことしか出来なかった。出来ることなら、それこそ一日中モニタの前に常駐して、本当は期待していない彼のメールが届くことを待っていたかった。けれど、日常というものはオレを置いては歩いてくれない。シャツの衿を引っ張って、次の日へと進もうとする。幾らオレが抵抗をしようとも、時間が止まらないのと同じように、一瞬たりとも待ってはくれない。
 嫌々ながら、オレは学校へ行くことになる。仕方のないことだと分かっていはいても、今だけは、自分が学生であることに恨みつらみを感じてしまう。お門違いの、衣牙のない遣り切れなさは、三日も経てば我慢できないくらいに膨張していた。
 当然、授業なんて身が入るはずもない。余所見はしょっちゅうで、先生には何度も怒られるし、同じクラスの連中には笑いを通り越して心配された。それまで、クラスの中でも割と明るい奴との認識をされていて、自分でもその自覚はあったから、突然発生したギャップに驚かれたらしい。
 追求されると、オレはこう言って、何とか逃れていた。
「悪い。最近、ちょっと気になることがあってさ――」
 説明が出来ようものなら、してやりたかった。オレの心情を悟れば、誰だって落ち込みたくなる。けれど、そう易々と話せるような事情ではなかったから、相談も出来ず困っていたのだ。
 たった一通のビデオメールが、日常という名の安寧を一瞬で壊してしまう。それを再び組み上げるためには、オレはどうにかして事の真相を知らなければならない。
 問題は分かっているのに、その解き方が分からない。幼稚園児の目の前に、二次方程式や因数分解を突き出したようなものだ。誰かの助けさえあれば解決するはずだと、漠然と思ってはいるのに、思うだけでその先に進むことが出来ない。
 つまりは、袋小路に入ってしまった事実に変わりはなかった。
 そんな風にして、更に数日が過ぎた。
 結局、その週は『休みが開けた途端に人間が変わってしまったような』自分を否応なしに演じ続け、いつの間にか土曜日になっていた。土曜日は半日授業で、オレはやっぱり心あらず、といった面持ちで授業を受けていたらしい。
 その頃になると、先生も一々注意の声を投げるのを止めていた。余程深刻な顔をしていたのだろう、流石に一週間もそれを見せられ続けて懸念したのか、仕舞いには、
「心配事があるなら、遠慮しないで相談に来なさい。力になれるなら話を聞くから」
 と申し出てくれさえした。オレは曖昧に笑って、大丈夫です、と応えたが、全然大丈夫でないことは、オレ自身がよく分かっていた。
 何か、行動を起こしたい。けれど、根拠もなしに動いたところで、明確な形が得られるわけでもない。それがもどかしかった。
 オレとミサキがあった切っ掛けでもある、行き付けのサイトの掲示板には、改めて確認してみると一ヶ月近く、彼の書き込みはされていなかった。それがつまり、彼本人が何処からも所在を得られない存在になってしまった、ということと等価でないと信じたかった。
 全てが杞憂で終わるのならば、それでもいいと思う。ミサキがオレに仕向けた、一世一代の大悪戯だったんだ、そう後で本人から笑って聞かされたなら、その時には一度は怒るだろうけれど、もうオレは許してしまうだろう。

 ――自身の近い将来にある死をほのめかす知らせなんて、もらって嬉しいはずがない。

 冗談で終わってしまえば、それがタチの悪いものであったとしても、当人たちの関係は修正が可能だ。けれど、それが現実のものとして後々明らかになってしまうようなことになったら、そう考えるだけで、オレは真相を探ることに恐怖にも似たものを感じる。
 オンライン上の人格は、長い間姿を消していれば、単にその本人が、あくまでオンライン上での所在を曖昧にしてしまった、というだけの話で説明が付く。けれど、オレとミサキの場合、話の方向が多少違う。一番最後の瞬間、彼はオレに自身の肖像を明らかにするメールを添付し、そして、姿を消した。それは擬似人格の週末ではなくて、肉体的な終結を潜めていたように思えてならなかったから、オレは怯えている。
 『いつか、直に会えたらいいな』なんて話をよくしたけれど、初めて彼の顔を見たのが、その死の直前だった、なんてオレは嫌だった。オレはきっと、無駄だと分かっているのに、全てを『なかったこと』にしようと東奔西走している。その心情が、かえってオレを自虐的にさせている。
 ミサキは、どうして最後になってオレにメールを送ろうと考えたのだろうか。それをオレは、学校内でもずっと考え続けていた。どれ程オレが自分らしくない自分を晒していたのか分かろうというものだった。
 月曜から土曜までの学校生活が終わり、生徒たちは各々、週末の予定のために動き出す。一方でオレは、それまでの連日続けていたように、ウェブネットの散策を続けるべきかどうか迷っていた。それまでの五日間、ミサキの手掛かりはまったくと言っていいほど見つかっていなかった。ミサキの失踪の経緯上、簡単に友人に話せるようなものでもない。
 多分、疲れていたんだと思う。気がついたらマウスを掴んだまま、モニタの前で眠ってしまい、そのまま次の日の朝になっていたのも一度や二度ではないし、電話回線は常時接続の定額制でネット料金を払っているから問題はないとは言え、パソコン回りの全ての電源をオンにしたままで活動を続けているから、そのうち自家熱でクラッシュしてしまうんじゃないかと流石に思う。
 せめて、少しでも気分転換できればと、オレは校舎の屋上に足先を向けた。ごちゃごちゃしたものを見たくなくなったとき、地上から離れた屋上に出て、真上にある空を見つめていると、煩雑な感情が整理されるような錯覚に安堵を感じることが出来る。
「ふう…」
 三々五々、帰路に就く生徒たちを眺めながら、オレは長い溜め息を漏らした。
 上空のパノラマには、雲が一つも浮かんでいなかった。天気は良いのに、この上なく憂鬱だった。『憂鬱』なんて言葉で一つまとめられるほど、感情は表に出てはいなかったけれど、とにかくオレの心は曇り空だった。
 それでも、柵に寄り掛かって風に当たっていると、少しだけ気持ちが楽になった。落ち込んだときなんかは、オレはよくこうして屋上に出てきて、風に当たる。でも、今日ばかりは簡単には気分を盛り上げることは出来そうにない。
 これから、どうしよう。漠然と、オレは考えていた。眠気が身体を取り巻いていて、けれど頭は眠ることを許していない…、そんな感じの状態が続いていた。もしかしたら、ここで一眠りしたら、これまでの一週間は全部夢として処理されないだろうか、なんて夢物語を空想して、一人で笑う。それこそ白昼夢だ。
 ふと、何の気なしに彷徨わせた視線の先、屋上の敷地の反対側に、白いワイシャツ姿の人影が一人。自分のように或いは果たせない気分転換に、ここにきているのだろうかと、オレは苦笑しかけ…、
「…え?」
 そこにいた一人の少年に、オレの目は釘付けになった。
 忘れようにも忘れられない横顔が、そこにはあった。
「――ミサキ…!」
 彼だ。
 思うより先に、オレは駆け出していた。ぼんやりと、先刻のオレのように青空を眺めている少年は、薄い髪の色を無造作に伸ばした、線の細い男だった。春も半ばの陽気に、シャツを軽く着崩して。
「ミサキ!」
 呼んで、思わず袖を掴んだ。振り返る彼…、確かに見覚えのある、その顔。
 隣に立ってみれば、彼は、オレよりも頭半分、背が高かった。俺はそんなことも知らずに彼と接していたのか、と今頃になって彼に付いての情報の足りなさに悔やみいる。
 けれど、そんなことは関係なかった。息を弾ませながら、
「ここの生徒だったんだな…、どうして教えてくれなかったんだ? だったら、メールの遣り取りだけじゃなくて、直接話も出来たのに」
 捲し立てるように嬉々としてオレは言い、
「…じゃなくって。随分、元気そうじゃないか。ほんの一ヶ月で、学校に出てこられるくらいだったのか? なら、どうして、あんなビデオメール、送ったりしたんだ? 一体お前、何をしようとしてるんだ、って凄く不安だったんだぜ? あれからオンラインでも会えなかったし、だからオレ、随分捜し回って。おかげでこの一週間、クラスのやつには抜け殻みたいだって言われるし――」
 少しだけ無理をして笑みを作りながら、矢継ぎ早に、取り繕うようにオレは話し掛けていたのだが、
「…ミサキ?」
 そこでようやく、相手の様子がおかしいことに気づいた。
 自分に向けられた、初めて見るものに対する視線。琥珀色の瞳が、オレを見返した。
「――誰だ?」
 その口から飛び出した無感動な口調に、オレは正直、一瞬戸惑った。
「あ…、悪い。やっぱり、名前を言わないと分からないか。オレ。コウタ」
 分かるだろ? と名前を名乗っても、何故か相手は釈然としない顔をしている。
 確かに、こうして面と向き合うのは初めてだけど、名前を明かせば直ぐに分かってもらえると思っていたから、その信心が呆気なく外されて、違和感はどんどん増していく。
「コウタ?」
 案の定、彼はオレの名を反芻して、
「知らないな」
 あっさりと言い放った。オレは驚きを通り越して愕然としてしまう。
「そんなこと、ないだろう? チャットやメールだけだけど、あれだけ色々話したりしたじゃないか」
「話し…?」
 少年は何を言っているんだ、というように眉を寄せて、
「初対面だ。間違いだろう」
「そ…んな、ミサキ、だろう? 違うなんてこと――」
「大体、ミサキ、って誰だ? 僕はどっちも知らない」
 莫迦な。
 手が、震えた。
 まるで、悪い夢でも見ている気分だった。いや、見ていた気分だった、と言うべきだろうか。
 しかし、それは簡単には覚めてくれない。
 一瞬呆然としかけた意識を奮い立たせ、オレはしつこく食い下がっていた。目の前の情景が信じられなくて、もう少しオレが弱かったら、泣きついていたかもしれない。
「なあ、ミサキなんだろ? 悪い冗談、止めてくれよ」
「冗談? 何が」
 彼は胸ポケットに入っていた何かを取り出す。
 それは、煙草のボックスだった。
「やっ…めろよ、煙草なんて」
「吸うが吸うまいが、僕の勝手だろう。この一本で死ぬわけじゃないし」
 死。
 その単語に、オレの身体は敏感に反応した。
 脳裏に、フラッシュバックのようにミサキの姿が蘇った。真っ白なリンネルの上衣を着て、オレに向かって微笑み掛けていた、白皙の少年。
「駄目だ…っ」
 即座に、オレは彼から煙草を奪い取る。「わっ…、何するんだよ」「煙草なんて…、吸っちゃ駄目だ。頼むから」
 握り締めるようにして、手の中で半分に折った。パラパラと、詰められた葉が零れ落ちる。
 ハッ、と少年は軽く口先で笑って、
「不良扱いの綺麗事か? ご立派だね、まるで風紀委員だ」
「違…っ、そうじゃない…」
 オレの知るミサキは、そこにはいない。
 まるで別人の物腰と、そしてその諸作に、オレは心の惑いを隠し切れない。
「どうしてお前は、僕に構おうとしたいんだ」
「だって、それは――」
 オレがまごつく間に、彼は言葉を続けた。
「コウタ、だったな。お前…、僕に、何をして欲しいんだ? ミサキって奴の代わりだったら、僕はお断りだ。僕はそんな奴知らないし、そもそもお前とも初対面だと言ったろう」
 そういう彼の目線には、中途半端な優しさなどない。
 ミサキの幻影にでも会ったのだろうか、そう思ってしまった。
 姿形は瓜二つなのに、その内面だけは全く違う。
 まるで二重写しの偽物を目の前にしているみたいだ。
 身代わりなんて、とんでもない、と思う。彼を見つけてから、その無下な言葉を聞く瞬間まで、オレは彼がミサキなのだと信じてしまったのだから。
 でも、彼の言う通り、この少年がミサキでなかったとしても、オレはもしかしたら『ミサキ』という少年の像を捜していたのかもしれないと思った。明確なビジョンが与えられていない間柄だから、余計に、突然彼と同じ姿をした少年が現れたことに、我を失ったことは事実だから。
 身勝手だと思った。彼も、…オレも。
「何でだよ…っ」
 だから、オレも身も蓋もなく、叫ぶようにそう吐き出していた。
「しつこい奴だな。縋られたって、困るだけなんだよ。僕が誰だって、関係ないだろう」
 仕方なさそうに煙草をポケットに仕舞い、少年は言う。
 現実を見てもなお諦め切れないオレは、一つ問う。
「じゃあ、…お前は誰なんだよ。ミサキじゃなかったら、誰だって言うんだ」
「だから、誰だっていいだろう、別に」
 彼は面倒くさそうにはぐらかす。
「そうはいかないんだ。名前、教えてくれよ」
「そんなの…、見ず知らずの他人に、何で名乗らなきゃならないんだ」
「本当に見ず知らずだって言うんなら、尚更だろ? お前がミサキじゃない、って言うんなら、その証拠が欲しい。オレはどうしても、ミサキに会いたいんだ」
 唇を噛んで、オレは言った。
「迷惑だっていうんなら、オレのこと、早く諦めさせてくれよ。きっちり証拠を見せつけてさ」
「証拠、ね」
 何が可笑しいのか、唇の端に彼は僅かに笑みを浮かべた。
 そんな彼に釈然としないものを感じながら、オレは訊いた。
「大体、そっちこそ、何で名乗りたくないんだ? 何か理由でもあるのかよ」
「理由なんて、ないさ。自分に付いて軽々しく喋る奴が気に入らないのと同じだ。そんなに知りたければ、そっちで勝手に調べるなりなんなりすればいいだろう」
 オレの訴えもあっさりと振り払い、背を向けて歩み去ろうとする。
「待…ってくれよ」
 オレは彼の細腕をつかんで、場に引き留めようとした。
「もう、いいだろう。これ以上無駄に、僕に構わないでくれ」
 冷たい言葉を言い捨てて、彼はオレの手を振り払う。
 今度こそ、オレは泣きたいのを必死に我慢していた。ミサキ本人に冷酷にされたような思いが身体を包み、ほんの僅かに身が震える。少しずつ小さくなっていく少年の姿を、オレは半分呆然と見つめていた。
 彼は、しかし扉の前で足を止め、振り返った。
「どうしてお前は、そんなにミサキって奴に固執するんだ?」
 突然の問いに、オレは咄嗟に答えることが出来ない。
「固執、って…」
「どうしてそんなにこだわるのか、って言ってるのさ。お前とそのミサキがどういう関係で、何があったのかは知らないが…、そこまで意固地になって探す必要が、何処にある?」
「それは…、」
 オレは一瞬言葉に詰まり、けれど、直ぐに言った。
「ミサキは、オレの友達だから」
「友達」
 その答えは彼にどう響いたのだろう。
「そう」
「友達ね…」
 少し考えるような表情を見せた彼は、
「――ムツミ」
 ぼそりとつぶやくように言った。
「え?」
「僕の名前。僕がミサキって奴じゃないって分かったろ?」 それじゃあ、と言い残し、今度こそ彼は姿を消した。
 そう広くもない屋上は、オレ一人だけになった。天気は相変わらず能天気に明るく、オレにとっては皮肉気ですらある。
「ムツミ…」
 無意識に、彼の名を呟く。…彼は、ミサキではなかった?
 落胆の思いは正直あったが、それで完全に諦められるほど、オレは素直に引き下がるような奴じゃない。世界にはそっくりな外見をした人間が三人はいるというけれど、ムツミの存在が丸っきり偶然であるとは考えられなかった。ミサキに瓜二つの少年が、『自分の名がミサキではない』と違う名を名乗ったとしても、それが本当なのかは分からない。
 オレはまだ、納得していなかった。少なくとも、『ムツミ』と名乗った彼は、オレに嘘を一つついている。彼は『ミサキ』と言う名に心当たりがあるはずだ。でなければ、どうして彼はオレの『ミサキ』という最初の呼び掛けに反応したのだろうか。屋上にオレたち二人しかいなかった、なんてことは言い訳にならない。それこそが、彼とミサキを繋ぐ、一番率直な証拠だ。
 彼は、何か大切なことをオレに隠しているような気がする。
 彼の視線は、確かに初対面の相手に向けられたものだった。オレ自身、あの少年――ムツミ、あるいはミサキ?――に会ったのは今日が初めてだったし、それはどちらにせよ間違いのないことだと思う。問題は、その視線に込められた感情だ。
 ムツミはもしかして、『コウタ』を知っていたのではないだろうか?
 彼が本当はミサキなのならば、どうしてそれを隠すのか。また、彼がムツミならば、どうしてミサキに付いて話そうとしなかったのか。ミサキとムツミは絶対に、見えない糸で繋がっていると、オレは思っていた。
 彼、あるいは彼らに何があったのか、オレは知りたかった。でも、それは少し恐くもある。
 何がオレにそう思わせるのか。それはまだ、分からなかった。


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