ミッシング・スレッド


 オレの隣のクラスの友人に、ケイゴという奴がいる。
 見た目も中身と割とおとなしめの性格をしていて、皆と大騒ぎをするときにはちょっと離れて静観するようなタイプだけれど、彼に身近の小さな集団が問題点に困っているのを見たときなどは、的確なアドバイスを何気無くしてみせるような、どの学級にもなくてはならない参謀役だ。
 実はそういう奴こそ、裏で何をしているか想像出来たものじゃなかったりする。これはオレだけの持論じゃないと思う。偽善者の冠を無理矢理重ねて見ているわけではないが、『簡単に口にすると後で何をされるか分かったものじゃない』というアレだ。
 それは別の話として。
 オレと彼は、オンライン上の友人でもある。ケイゴは個人でウェブサイトを開設していて、オレはそのサイトの常連だ。稀に、オンラインでの諸活動に便乗させてもらったりしている。おおっぴらには言えない冒険心に満ちた活動なので、口には出せないが。
 兎も角、週末の休みが明けて、月曜日。オレは、彼の元を訪ねていた。
 高い本棚が並ぶ部屋に居座る老獪の知識人みたいに、放課後になると学校の図書館に足を運ぶのが彼の日課だ。図書委員なのをいいことに、週の殆どは我が物顔で閉館時間まで何かをしている。図書館にはインターネットに繋ぐことの出来るパソコンがあるから、ノートパソコンを持ち込んで、そこで自分の家のパソコンと回線を繋げて、ウェブサイトの更新をしていたりもするらしい。少しだけ、小狡い。
 暇さえあれば彼方此方のサイトを閲覧して、雑学の勉強をしているように思える。事実、彼に質問をすれば、大抵のことは納得出来る答えが返ってくる。ある意味、オレが彼を尊敬しているのはそんなところまでを含めてのことだ。
 本心を言えば、ケイゴには頼りたくなかった。ミサキのことは、出来ればオレ一人で最後まで突き詰めて探って、考えてみたいものだった。それでも、一人では出来ることに限界があった。ケイゴは、オレにとっての最終手段の一歩手前の存在だ。
 でも、彼ならば決定的な活路とまでも言えずとも、何らかの助言は得られることを確信していた。それは信頼でもあり、同時に自身に向けられた力の無さえの悔しさでもあるのかもしれない。それを感じていたからこそ、彼の元へ来るのに、一週間の間があったのだ。
「話があるんだ。聞いてくれるか?」
 いつものようにモニタの前に常駐していたケイゴに向けて、オレは率直に言う。
 インターネット・サーフィンをしていた彼は、マウスに手を乗せたまま、画面に目を向けたまま、一つ頷いた。それが彼の、了承の合図だった。余計な愛想は必要ないことを、オレも彼もよく分かっている。
 オレは、ミサキに付いての話をした。オレとミサキがオンライン上での友人であり、メールやチャットで交流があったこと、一週間前に、彼からビデオメールが送られてきたこと、そして、それ以前から、彼の姿を何処でも見掛けていないこと――。
 話しながら、自分でも口調が訥々としていることに気づいていた。この話には妙に現実味が無いことに、ケイゴも気づいていることだろう。素っ気無い態度をするようでいて、彼の耳はしっかりとこちらに向いている。その証拠に、オレが話し掛けた瞬間から、マウスはピクリとも動いていない。
 …二日前の土曜、屋上で偶然ミサキに瓜二つの少年と出会ったこと。てっきりオレは、彼がミサキに違いないと思ったが、少年は無下な態度をオレに取ったこと。彼はミサキなど知らないと言い、そして彼自身の名前は、ムツミであったこと――。
 短い話を終えたオレに振り向き、開口一番。
「結果の是非に関わらず、命に関わる負担が大きい手術を受けた奴が、ほんの一ヶ月後に登校できるとは思えないな…、ドッペルゲンガーにでも会ったんじゃないか?」
 ケイゴは、そう言った。
「え?」
 決して聞きなれない言葉に、オレはキョトンとしてしまう。
「ドッペル。『ダブル』とも言うね。簡単に言えば、もう一人の自分のことだ。聞いたことはない?」
 ちょっと首を傾げて、彼は問う。縁なしレンズの眼鏡の中で、蛍光灯の光が緑色に変化していた。
「そりゃあ…、聞いたことくらいは――」
「あるだろう?」
 そう言って、彼は例えば――と続けた。
 Aさんの姿を街で見かけたBさんが、ちょっと話をするつもりで話し掛けたが無視された。気分を悪くしたBさんは、後日Aさんに会ったときに、『どうしてあのとき無視したの?』と訊く。けれどAさんはその日、全く違う場所にいた。不在の証拠も完璧で、だったらBさんが街で見掛けた人物は一体誰だったのか、という疑問が残る。奇妙だったのは、その日のAさんの服装と、Bさんの見た、『Aさんに似た何者か』の服装が、全く同じだった――。
「写し取ったように外見は全く同じで、実際に撮られたという二人の写真を重ね合わせると、寸分の狂いもなく重なった、なんていう話もあるよ」
「他の誰よりも自分らしい、ってことか」
「それ以上だね。なにせ、『もう一人の自分』だ。少なくとも外見上は、何から何まで同じ仕組みで出来ているわけだから、それこそ姿を知らない人が会ったら、確実に見間違えるだろう」
 全てを説明されるより前に、ケイゴの言いたいことは分かったが、それでも口に出して確認する。
「つまり…、オレの会ったムツミを名乗るあいつは、ミサキのドッペルだった、ってことなのか?」
 するとケイゴは、
「さあ、どうだろうね」
 本人がそう濁す。
「どうだろう、って。はぐらかすなよ」
「先刻も話しただろう。ドッペルは、その本人を大きく混乱させる、鏡のような存在だ。だから、外見は完璧にコピーされたもので、それゆえに本人への精神的衝撃は大きい。幾ら似た人が目の前に現れても、それが一足飛びに『彼は自分だ』とは、普通思わないだろう?」
「そりゃあ、確かに」
 思わない、というより、とても思えない。
「それが、ドッペルの驚異の一つでもあるけれどね。無条件に信じ込まされてしまう、という。…でも、その人物という像を写した鏡ゆえに、その内側まではコピー出来ない。全てが全く同じ存在が一つ増える、というものではないんだ」
「そっか。人が考えることは、常に変わるものだものな」
「そういうこと」
 人格を持ったドッペルゲンガーは、自分であると常時に、それは自分ではない、という矛盾を引き起こす。ゆえに、ドッペルが本人の存在を抹消しようと企てたのだとしても、その後、本人以外の他人を名乗ることは有り得ない。
「それとも、ドッペルは乖離性同一障害の症状にある。幻覚のことに過ぎないと説明する人もいるけれどね。つまりは現実に離反する自分を死に追い込む、自身を破綻させるための人格の表層が見せる幻覚なのだと」
 むしろ、そちらの方が説明として通っているように思える。
「でも、オレが見たのは」
「うん。きみはちゃんと彼に触れている。だからムツミは少なくとも現像だ。きみは精神の病を持つほど繊細な作りでもなさそうだし…」
「それ、喧嘩売ってるだろ」
「俺の喧嘩は高いよ?」
 口を引き攣らせてオレが言うと、ケイゴはあっさりかわした。オレが本気でないと分かっている。
 トントン、とマウスパッドを人差し指で叩いて、
「まあ、これらは半分冗談だとしても…」
 軽く言われて、拍子抜けしそうになった。
「…もっともらしく冗談を言うなよ」
「ドッペルゲンガーに付いては、嘘は言ってないさ。ただ、きみの言う『ミサキ』と『ムツミ』という二人については、こいつは当てはまらないな、と思ってね」
「どうして?」
 ケイゴは、眼鏡の鼻当てを中指でちょっと持ち上げて、
「ドッペルゲンガー自体が存在するかどうかの議論は、ここでは無しだ。存在するのかもしれない、で話を進める」
「うん」
「ドッペルで怖いのは、その本人がドッペルと顔を突き合わせてしまったときは、それが本人に死をもたらす前兆だ、って言われていることだ。だから、ドッペルは死神のことなのだとも言われている」
「…うん」
 死神、という言葉に、どうしようもない負の響きを感じて、オレは無意識に自分の肩を抱いていた。
「ムツミを名乗るドッペルがいたとしよう。変な言い方だけれどね。彼はどうして、きみの前に姿を見せたんだろう?」
「え…、それは――」
 何だろう。改めて訊かれると、応えに窮する。偶然だったと言われればそうだが、あの、あくまでミサキ本人とは無関係であることを主張するムツミが、固有の少年であることを証明する経緯――。
「ミサキが既に存在しないのかは、僕には分からない。けれど、本人との入れ替わりがなされるにしろ、なされなかったにしろ、自分がいなくなることをきみに伝えている『ミサキ』の姿をしたそいつが、きみの前に自分から現れることに得策があるとは思えない。自分が本物でないことを自ら表明しているようなものだからね」
「そっかあ…」
 それがオレを納得させるために作られたに過ぎないものだったとしても、虚構の解釈によって示された事実の一部は、違った視点で現実を見せる。
「まあ、この御時世にファンタジー的解釈をするのは、かえって詰まらないしね」
 それは、ケイゴのわざとらしい無気力な言い方で知れた。
「オレは真面目に話してるつもりなんだけど」
「分かってる。詰まらない、っていうのは、僕が釈然としない、ってことだよ。そう――」
 最初からありもしないものの存在を、改めて否定することは意外と難しいのだ。
「――結局、何処からアプローチをしても、ミサキとムツミが元、同じ存在であった、とは考えにくいことが、これで分かったろ」
 彼の持論は、最終的にそこに落ち着くらしい。
 …俺の中にくすぶる違和感は、依然変わらなかった。
「オレも、やっぱり、違うような気がする」
「二人には全く繋がりがない、別人だってことが?」
 問われて、オレは首を振った。
「そうじゃない。オレは、あの二人は別人だと思うけど、全くの他人でもないと思ってる」
「その根拠は?」
 図書室に据え置かれた机で自習をする生徒に視線を向けながら、ケイゴは言う。
 オレは、応えた。
「目が…、違ってたんだ」
「目?」
「そう」
 オレは目を閉じて、簡単には忘れられそうもない、その映像を思い浮かべた。
「ミサキの左目は、漆黒の黒、って感じの瞳をしていたんだ。けれど…、ムツミは、薄い茶色、琥珀色の目をしていた。外見を装っても、瞳の色は変えられないだろ?」
 うーん、とケイゴはどうにも釈然としない表情で唸り、
「…コンタクトとか」
「ミサキは、目は悪くない、って言ってた。大体、それだけのためにコンタクトを手に入れようと思わないよ。さっきの話に戻ってしまう。『自分はミサキじゃない』って誰かを騙すためみたいだろ」
「なるほど。確かに、その通り」
 ケイゴはオレの言葉に頷きつつも、
「でも、目ぐらいで、人間二人を判断する決め手になるかなあ…」
 そう言うので、オレはもう一つの記憶を呼び起こす。
「それに…、アイツ、煙草を吸う奴なんだ」
「どっちが? ミサキ? ムツミ?」
「ムツミの方」
 ワイシャツの胸ポケットに、無造作に入れられていたシガーボックス。
「アイツ…、病人だったんだぜ? どう考えてもそんな、『大人の嗜好品』なんて楽しいでいられるような余裕は見受けられなかった。なのに、ムツミは…、随分手馴れた手つきだった」
「まあ、本人にしてみれば、煙草くらいで兎や角言われたくないだろうけどね…喫煙者の誰もがそうか」
 何だか、感慨深げに言う。
「ケイゴは、吸ったりしないんだ?」
「僕は、自分を一番大切にしてる奴だからね。予見できる忌避は、出来る限り避けなきゃ」
「そんなのは、オレだって同じだよ。ただ、アイツが煙草を吸ってる姿なんて、信じられなかっただけで」
 オレが言うと、彼は不適な笑みを浮かべた。もしかしたら、本当は吸っているのかもしれない。
「ふうん。ま、僕は余計な口出しはしないけどね」
「ケイゴって、意外と薄情な奴だったんだな」
 自明だろ? と彼は返し、
「自分の健康管理くらい、自分で出来るような奴じゃないと、人の心配はしちゃいけないよ」
 聞きようによっては耳に痛い言葉をオレにくれた。
「うん…、まあ、そういう、釈然としない色々なことがあるんだよ」
 結局、それらしい答えが簡単に見つかるはずもなく、少しだけ落胆した口調でオレが零すと、
「なら…、余計に、その二人は別人に思えてくるな。名誉挽回に、一つ有効な持論を持ち出そうか」
「え?」
「きみの話を聞いていてさ。答えを出すのは難しいなあ…、と言いたいところだけど、単純明快な推測もある」
「何だよ、それって」
 気づかなかったのか? と唖然とした表情を作っておいて、
「可能性として一番大きいのは、やっぱり『双子の兄弟』かな」
「あ…!」
 それを最初に言ってくれれば。
 どうしてそれを思いつけなかったのだろう。
 オレは『ミサキ』に固執し続け、『ミサキ』と『ムツミ』を単独の存在として見ていなかった。
 ケイゴにしてみれば、当然の考えだっただろう。似た二人の人物がいれば、彼らは双子だと思って当然なのだ。それならば、一通りの説明がついてしまう。
 でも。
 それを聞いてなお、オレは俯く顔を上げられない。
「だったら、どうして…、ムツミはあんなに、ミサキのことなんて知らない、って突っぱねたんだろう…?」
 オレは呟かずにはいられない。
「さあ、ね。そこからは心情の問題だ。それは当人に尋ねてみないことには、推測しか出来ないよ」
 あっさりとケイゴは言った。出来合いのミステリみたいには、物事はそう単純に解決したりはしないってことだ。
「二人の一方が煙草を吸ってる、っていうんなら、歯の色で見分ける方法もあるけどね。これはちょっと強引で、不健全でもある」
 と、まるで自分は無関係で、健全過ぎて困っている、みたいな言い方をする。
「…ハッカーの真似事をすることは不健全じゃないんだ?」
 オレは言ってやった。途端に彼はしかめっ面をする。
「それは、言わない約束だ」
「分かってるよ。友人のよしみだからね。…そこで、一つ頼み事」 オレは気を取り直して、ケイゴの元を訪れた一番の目的を披露した。
「そっちが本題か」
「その通り」
  上目遣いに見てくるのに、笑んで頷いてやる。
「ウチの学校の名簿から、ムツミを探して欲しいんだ」
「…なんだ、そんなことか」 オレが言うと、拍子抜けしたようにケイゴはいすの背もたれに寄り掛かる。
「僕はまた、てっきりミサキの方のカルテを病院のコンピュータから引っ張り出してきて、閲覧できるようにしろ、とか頼まれるのかと思ったよ」
「それは、立派に犯罪だろ」
 大それたことを易々と口にしてみせる奴だ。
「人をハッカー呼ばわりしておいてかい」
「ケイゴがしたい、って言うなら、そっちのルートでも構わないけど」
 オレは肩を竦めてみせた。彼がそこまでのスキルを持った奴だということは、ほんの数人しか知らない秘密だ。裏で彼が何処まで『侵入』をしているのかは、推測すら禁じられた遊びだ。
「言っただろう…、僕は自分を一番大切にしているって。大体、学校の名簿なんて、先生にでも頼めば見せてもらえるだろう?」
「『失踪した友人に似た奴が、ウチの学校にいるみたいなんです』って? 冗談だろ」
「…冗談だよ」
 心優しい友人は、そうしてオレの頼みに応えてくれた。
 ほんの数分後、モニタには確かに、ムツミの存在が確認出来た。ここで肝心なのは、それはあくまで『ムツミ』を見つけたのであって、『ミサキ』ではなかったということ。少なくとも、オレが学校の屋上で対面した少年は、『ムツミ』として学校に来ていたのだということだ。
「ひょっとして…、『ミサキ』っていうのは本名じゃなくて、彼のハンドルネームじゃないのか?」
「ムツミが『ミサキ』を名乗っていたって? 言ったろ、ムツミがオレにそれを否定した理由が分からない限り、それは先刻のどの解釈にも当てはまるよ」
「…ああ、そうか」
 彼がその確認をしたかったのかは、オレには分からなかった。きっと、彼なりに自分を納得させられる答えを模索していたのだろう。彼の思考回路は、オレよりずっと複雑に出来ているはずだから、オレには思いも寄らない突飛な解釈もあったりするのかもしれない。
 けれどひとまず、それ以上の収穫は、どうやら見込めなさそうだと、オレは図書館を後にすることにする。
「サンキュな、ケイゴ」
 凄いことを何でもないことのようにしてみせる奴で、しかもその能力を普段は見せつけずに、取って置きの場面で披露する奴は、文句無しに凄いと思う。そういう友人を持つことは、あるいは少し怖いことなのかもしれないけれど。
 その頃には、ケイゴは普通の男子生徒の表情に戻っている。
「礼はいらないよ。ここで聞いたことは、全部忘れることにするから」
「そんな、気を遣ってもらわなくてもいいさ」
 妙に愁傷なく口調だと思ったら、
「きみに貸しは作らないことにしてるんだ。僕は健全でいたいからね」
 案の定、彼は皮肉をオレに返すのだった。
 オレも皮肉な笑いを向けて、彼に背を向ける。と、直ぐ様、
「おい、ちょっと」
「え?」
 呼び止められて、彼が指差すモニタを覗き込む。そこは、オレとミサキがよく顔を合わせた、行き付けのサイトの掲示板だった。交流掲示板で、サイトを訪れた人の間で自由に遣り取りが出来るようになっている。近況報告や、ちょっとした質疑などを書き込むのだ。
「あ…!」
 横からケイゴも覗き込む。
 本日付で『ムツミ』名義の書き込みが一件、されていた。
 タイトルは『コウタへ』。クマのぬいぐるみのアイコンの吹き出しに、メッセージが書かれていた。
「『暇があったら、出会った場所に。』…どうする? 行ってみる?」
「勿論」
 オレは迷わず、屋上に向かって駆け出した。


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