無形の天使の見つけ方

 「これはもう一生ものだ、と感動したね」


 クラヴィスは一人、雪の降る雑踏の中を歩いていた。
 ジンク・ホワイト(亜鉛華)のように白い無数の雪片が、天から次々に舞い降りてくる。
 ジンク・ホワイト社のカクテル・ドロップは、この雪のように真っ白なポプシクルで、舌の上でほろほろと融けていく。喉越しも、氷の結晶が角を触れ合わせていくようで、最後の最後まで心地良い。
 あの真っ白なポプシクルが食いたいな、そう彼はふと思った。
 雑踏の中に紛れているクラヴィスは、精確には一人ではないのだが、『独り』ではある。
 ――彼は、いつも一人だ。
 パメラ・クラヴィスは、『アミューズ・シティ』に巣くう多くのアーティストの中の一人である。専門は音楽。曲を作り、歌詞を作り、歌を歌うことを生業としている。彼の名は、この街のみならず広く知れ渡っていると言っていいだろう。真っ直ぐに通ったトーンと、テクノサウンドとの調和が好感を得て、自分で言うのも可笑しいが、そこそこの人気を獲得している。
 が、彼自身、自分の姿を公共たる視線の場に出したことはない。大した理由は、そこにはない。
 ただ、世間に興味がない、それだけだ。彼は、自分の好きな音楽が作れればそれでいいのである。
 結果的に、人気は後から付いてきたものだと信じてたばからない。
 彼を称して世間の曰く、『ディジタル・シンガー』。曲を歌う瞬間にしか存在しない、一か零(ゼロ)かのデジタルな存在に等しいというわけだ。そう言われることはクラヴィスにとって苦痛とはならないし、むしろ彼が望んだことでもある。
 逆に言えば、『パメラ・クラヴィス』は、彼の作る曲が存在する限りは、音楽の上に確固として存在するということであり、歌という姿を変わらず人々の脳裏に宿すことが出来るということだ。
 だから、彼は歌い続けている…、今のところは。

 彼の思考は今、新曲の構想に包まれている。
『ホーリー・デイズ』と仮にタイトルを付けたその曲は、既に歌詞は完成していた。

 ――きみは大人になるには早過ぎる
 だから夢を終わらせるための夢を見よう
 そう、ぼくはきみの未来を手に入れに来る
 きみを一日だけ生き伸ばせるためだけに…

 その詩を呟きながら、彼は歌に乗せる曲を模索していた。デジタルな曲の作り方をする彼だが、実際に鍵盤に指を置く前に、一度全ての音律を頭の中で完成させているのが常である。精巧な調べを編み出す以前から、既に曲は出来上がっている、それが彼のやり方だった。
 そうはいっても、クラヴィスという人間はアナログな存在である。思考能力には限界があるし、集中力が途切れる瞬間もある。理想と現実の境目は、そんなところにも見つけ出すことが出来るのだという典型的な例だった。
「まったく…」
 雑踏をやり過ごし、静かな道を選びつつ、彼は溜め息を一つついた。
 スランプというわけではない。アイディアは溢れるようにやってくる。問題は、その中から最もあの歌詞に相応しい音律を探し当て、組み合わせていく過程にあった。それはクラヴィスの得意とするところでもあったし、作詞・作曲・編曲を一人で担う彼の常でもあったのだが。
 クラヴィスは、大通りから横に外れ、街の公演へと足先を向けた。お決まりの散歩コースがそこにある。
 児童公園の一角にある東屋のベンチに座り、ほっと息をついた。
 雨や風の降る音すら、彼には一つの音律に聞こえてしまう。絶対音感というもので、これが日常生活においては時折不快に作用する。時計の針の音、床の足音、犬や猫の鳴き声…、そういったものが、全てドレミで聞こえてしまうのだ。気が付けば、勝手に頭の中で五線譜に音符が書き込まれ、『混沌』やら『葛藤』やらといったタイトルが付いて、一つの意味のない楽曲が出来ていることもある。
 雪の降る音を、一つの音符で表すことは出来ない。それは彼の耳に対しても同じだった。普通の人がざわめきを感じるときのように、クラヴィスにとっての降雪音は意味のない、しかし様々な音の入り混じった、奇妙な旋律として知覚される。
 それを明確な音として表すことは、一度成し遂げてみたいと彼が考えることの一つだった。
 思い浮かぶ音律を口ずさみ、詩と色々に混ぜ合わせながら、少しずつ昇華させていく。
 その工程が好きだったし、一度集中したら簡単には自分では止められない。
 しかし一つ、気になることがあるのだ。
 クラヴィス自身…、『パメラ・クラヴィス』に似た、ある観念を有するもの。
 最近、彼はそれに気付き始めていた。ある音と、声。
(だが、今はそんなことに興味を向けているときじゃない)
 思った瞬間。
「こんばんは」
「!」
 その声が背中から掛けられて、正直彼は仰天した。
 振り返ると、そこには厚手のショートコートに身を包んだ少年が一人立ち、クラヴィスの顔を覗き込んでいるのだった。
 その屈託のなさそうな顔に、見覚えがある。
「クラヴィスさん、ですよね。直ぐに分かりました」
「そういうきみは…、ラズリくんか」
 ラピス・ラズリ。
 『BGM』という名のジュヴナイル・バンドの一員で、ヴォーカルを担当している少年だ。
 そのラピス少年が何故ここに、という疑問を挟み、それより前に疑問が浮かんだ。
「きみは、俺の顔を知っていたかな。俺は直接きみにあった覚えがないが」
「いいえ、ボクも実際に会ったのは初めてです」
 そのはずだ。
「だったら…?」
「声を聞いて。『パメラ・クラヴィス』と全く同じ響きだったので、ああ、この人だ、って」
「ああ、そういうことか」
 内心、舌を巻いた。この少年も既に、絶対音感を確立させているのだ。
 それに加えて、音に関する記憶力もかなりのものだと感心する。
 『カナリア』のような声の持ち主、と半ば揶揄するように称されているのは、あながち大袈裟ではないかもしれない、とクラヴィスは思う。自負するわけではないが、彼が楽曲のパートにおいて求める音律の完璧さを、この少年は天賦の才によって自然と歌い上げることに成功している。
 クラヴィスが間接的に作ろうとしているものを、ラピスは自らの能力の一環として表に出している。自分にはないものを有している少年に、妬ましい思いがないわけでもなかったが、だからこそ、彼に足りないものもあることをクラヴィスは知っている。
 屋根の下に招き入れて、
「俺に、何か用かい」
 改めて、彼は少年に問うた。
「いえ。用、というものでもないんですけど」
 一度、話がしてみたいな、と思ったので。
 そう少年は言って、軽く笑った。
「クラヴィスさんの歌が、好きなんです。それが一番正直な理由」
「それは…、ありがとう、と言うべきなのかな」
 面と向かって自分の歌が好きだと言われるのは、幾ら彼でも少しばかり恥ずかしい思いがあるというものだ。
「うん、きみのような人にそういう言葉を掛けてもらえるのは、光栄だね」
 それも、正直な感想だった。ラピスは慌てて、胸の前で掌を振る。
「ボクはそんな、凄くなんかないです。ただ好きなように歌っているだけで…」
「だからさ。きみはもっと、自分に自信を持っていいだろう。俺が言うのも可笑しいけれど…、保証するよ」
「ありがとう…、嬉しいです」
 ほんの少し、顔を赤らめて、ラピスは照れた表情を見せる。
「けど、クラヴィスさんに会えたことが、もっと嬉しいかも。ナイルとかに自慢してやりたい」
 そんな顔は、成る程、年相応のありふれた嘘のない少年の笑顔だ。「はは…、そんなことが自慢になるのなら、幾らでもしてやるといい。減らないからね」
 ひとしきり二人で笑って、
「そうだ…、前から不思議に思っていたんだが、訊いてもいいかな」
 ふと、クラヴィスはそんな問い掛けをしていた。
「なんですか? …プライヴェートなことでなければ、何でもどうぞ」
「…ブルーくんの差し金かい、今のは」
「そうです」
 やっぱり分かりますね、とラピスは笑う。ナイル・ブルーは、『BGM』のブレインだ。
「大丈夫だよ。個人的な興味は、また別の話だ。質問はね…、『BGM』というバンド名の由来について」
「ボクたちの『BGM』ですか」
「そう。確か、『ボーイズ・アンド・ガールズ・メモリーズ』の略だったかな」
「はい」
「けれど…、実際には、バンドの構成員は少年のみだ。ガール、つまり少女はいない。けれどバンド名には『ガールズ』とある。これはどうしたことだろう、とね」
 うーん…、とラピスは考える仕種を見せた。
「無理に答えてもらうことはない。俺の勝手な疑問だから」
 『ボーイズ・アンド・ガールズ』が、バンドの構成員ではなく、少年少女を主要な対象とした曲作りをしていることを示すのだという解釈が、一般的なものだ。感情豊かな思春期の『メモリーズ』つまり記憶や思い出を歌にして広く伝えている、というのが、真っ当な受け止め方だろう。
 そうクラヴィスは言い、
「そこまで分かっていてどうして、と思われるだろうが…、根拠のないクエスチョンは、一度浮かんだらなかなか消えないものでね。当人から聞いてみるのが、一番手っ取り早いように思えたものだから」
 言い訳をするように、言葉を添えた。
 数秒間の沈黙。
 それを破ったのは、少年の側だった。
「『BGM』という名前にしようと考えたのは、ナイルです。最初は皆で、『バック・グラウンド・ミュージック』のように、誰の耳にもすんなり通っていくような歌を作ろう、っていうコンセプトで。…それから、逆に考えて『BGM』は何かの略称なのだと示せるようなワンセンテンスを考えたんです。だったら、ボクたちは見ての通りの少年だから、Bは『ボーイ』だろう、っていうことで、それに見合ったものを当てはめていって…、『ボーイズ&ガールズ』は、割とあっさり決まりました。後はMで…、最初は『ミュージック』にしようか、迷ったんです。でも、それじゃあ面白くない、と思いませんか?」
 クラヴィスはちょっと考え、
「それもブルーくんが?」
「…はい」
 少しだけ情けなさそうに、ラピスは笑みを浮かべる。
「そこで、また考えたんです。『ボーイズ&ガールズ』が『Boys and Girls』だと考えるから変なんだって」
 雪がうっすらと積もりつつある地面に、指先で彼は文字を書いた。
「『少年少女たちと、記憶』ではなくて『少年少女たちの、記憶』」つまり『Boys’ and Girls’ Memories』。
 一読して、クラヴィスは頷いた。
「ああ、そうか…、言われてみれば、その通りだ」
 つまり『Boy and Girl』たちの『Memories』なのだ。
 クラヴィスの中で滞っていた疑問に、うっすらと答えが見えたような気がした。
「例えば、『ボーイズ・アンド・ガイズ(Guys)・メモリーズ』でも良かったんですよ。でも、それじゃあ不公平だ、ってロウなんかが言うものだから…」
 ロウ・シェーナ。『BGM』の一員だ。…何がどう不公平なのかは、わざわざ言葉にする必要はないだろう。
「――ああっ!」
「どうした?」
 急に叫び声を上げるラピスに驚いてクラヴィスが問うと、
「あのっ、そのロウと待ち合わせしてたんです、実は。どうしよう、また怒らせちゃう…」
 上目遣いで表情を伺う彼に、クラヴィスは微笑み掛けた。
「俺のことはいいから、早く行ってあげるといい。…きみと話せて、俺も嬉しかったよ」
「あ…、ごめんなさい」
 ぺこん、と頭を下げてから、
「それと…、ありがとうございました」
 ラピスは言い、背中を向けて駆け出していった。クラヴィスは彼に手を振ってやった。
「まったく…、やれやれだ」
 思いもしなかった対面と、思い掛けない話の展開に少々戸惑ったものの、クラヴィスの口元には密やかな笑みが浮かんでいた。ラピスとの会話は楽しかったし、興味深い収穫もあった、と言えよう。
 クラヴィスの疑問の対象は、本当は『BGM』の訳語などではなかった。
 『BGM』というバンドと、それに対するラピス・ラズリの位置関係について確認がしてみたかったのだ。
 地面に書かれた文字は、直ぐ様、散る雪で消えていく。
「きみたちのデビュー曲のタイトルは『ボクらの境界線』だっただろう? それは、…ラピス、きみと、他の少年たちとを否応なしに分ける、絶対的な境界線のことでもあるんじゃないのかな」
 遠ざかり、消えていく背中に向けて、彼は呟いた。
「俺はきみが、本当の『少年』であるようには思えない。…かといって、『少女』でないこともまた同じだ。ということは、答えは一つ――」
 その先を、彼は口にはしなかった。
 その瞬間に脳裏に浮かんだ音律を、崩したくないと思ったからだった。

 タイトルを『無形の天使』と改め、彼が曲を完成させたのは、それから僅か四十分後のことだった。
 その曲に密かに込められた仕掛けは幾つかあるが、その中の一つは、そのインストゥルメンタルが逆奏させても正規のものと同じように聞こえるというものだった。
 この曲にまつわる逸話は様々にあるのだが、その仕掛けの真意、すなわち楽曲の中に『境界線』を引かないという、クラヴィスなりの無言の問い掛けに代えたものでもあったという事実は、彼のみが有するものだ。
 そして、それと全く同時期に、ラピス・ラズリたち『BGM』の面々が『天使を作ろう。』という曲を作り出そうとしていたことに、その時のクラヴィスはまだ気付くことは出来ずにいたのだった。


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