無形の天使の見つけ方

 「勝手に騙されてただけなんだ」


 街角の広場にある時計塔は、一片が3メートルの立方体の上に長細い円柱が乗った形をしている。
 時計の文字盤が円柱の曲面に4つ付けられ、円柱自体が回転して360度の周囲に現在時刻を知らせている。
 立方体の箱は、その制御室兼事務室で、四面の白い壁には大きな窓が付いているが、よく見ればそこから見える情景に違和感を感じるのは直ぐだろう。
 触れてみるとそれは精巧に描かれた絵画の一枚に過ぎなかったりする。『窓際にある窓の絵』というトリック・アートだ。なまじ、その絵には狭い一室にて事務机に向かう職員の姿が描かれているものだから、遠目には一瞬では判別出来ない。
 この街には、絵画の他にもトリック・アートが多い。スクラプチャ、アーキテクチャ、フォトグラフ、カリグラフィ、クラフト…、と種々様々に雑多な趣向が彼方此方に繰り広げられ、行き交う人々を楽しませている。
 例えば、大通りの脇にある地下通路の出口の直ぐ側には、まるで落とし穴のように、ぽっかりと地面に空いた穴がある…、ように見えるのだが、これも地面に描かれた絵だ。知らずに地下通路から地上に上がってきた者の多くが、思わず足を止めて上半身を折る。
 横丁のアーケード街の屋根、つまりアーケードには晴天の絵が描かれている。ここでも騙し絵か、と決め付けてしまうには早い。この天井は開閉式で、それが収納された上にもう一枚、曇天のアーケードが現れる。
 ある建物の内部にある階段を上り、奥で買い物をして、元の階段を降りて外界に出ようとすると、何故か地下街へ出てしまっているという奇妙な作りをしている店。建物の構造自体が一つの大きなからくりになっていて、時折二階と一階が入れ替わる仕組みになっているのだ。
 ――ペットショップの一角にある水槽に魚が泳いでいて、けれどそれらはビジュアル・グラフィックなのだ。ディスプレイで動き回る魚たちは、しかし水槽のガラスを叩くと、衝撃でちゃんと逃げ回る。
 街の景観に不似合いな仮面の騎士たちが立っていると思ったら、突然ガシャリと重々しい音を立てて歩き始めるサンドイッチマン。
 『心地良く人を騙す』ことが如何に難しいか、この街の住人はよく知っている。それは人をたぶらかし、詐称し、不当な利益を求めようと企む欺瞞とは程遠い平和的な思考回路の成れの果て、とでも言うべき、如何にも牧歌的ですらある危機感のない思想だとも言える。
 まるでこの街が、一つの大きなテーマ・パークであるかのようで、それらが『アミューズ・アート』であると呼ぶ人も少なくない。何が本当で、何が本当でないのか、それを見極めんとする心情の極北なのではないだろうかと分析する諸氏まで現れる始末だ。
 要は、それらの小さなトリック――技巧、仕掛け――に引っ掛かるに付け、『騙された』と思うか否かで、それらの価値は異なってくる。マジックのギミックに気付かないでいることが幸せであるように、疑問を疑問のままで終わらせておくのが一番日常に不破感を与えない。
 この街の一角が、偶然にも多くのギミックで満ち溢れている状況の切っ掛けを作り出したのが誰かなど、今更誰も考えようとはしないが、いつの間にか日常に紛れ込んでしまったそれらは、最早アートの概念に紛れ込んでしまっている。
 後は結局、それを受け止める側の寛容さと、ほんの少しの心の余裕。
 そして…、彼の場合、心に多少の寛容も余裕もないかもしれない。
「――遅いっ!」
 タンッ、とブーツの踵で石畳を踏み鳴らし、ナイル・ブルーはもう少しで歯噛みをするところだった。
 一瞬の我慢の後、結局ぐっと噛み締めて、深呼吸を一つする。
 今日に始まったことではないのだけれど、友人のラピス・ラズリが、待ち合わせ場所への到着に遅れている。彼が待ち合わせの時間に間に合った記憶は殆どない。毎回毎回…、いや、毎回毎回毎回毎回…、と息が切れるまで言い続けても足りないくらい、彼との待ち合わせには期待感が持てない。
 極度の方向音痴なのだ、彼は。目を瞑らせてクルリと一回転させてやれば、たちどころに東西南北の感覚を逸してしまうくらいの。…確実に一回転させてやっても、だ。
 脳裏に描くマップメイク・スキルの乏しさはよくわかっているナイルでも、こうも一々待たされることになっては、いい加減血圧が上がってしまいそうになる。
「まったく…」
 ナイルは本日、七回目の溜め息をついた。
「これだから、アイツを一人にしておけないんだ」
 時計塔の辺りに流れている音楽は、今流行りのバンド『BGM』の曲だ。
 BGMといっても『バック・グラウンド・ミュージック』ではなくて、『ボーイズ・アンド・ガールズ・メモリーズ』の略。その名の通り、うら若き少年が歌っているグループなのだが、…彼らについては、ここではまだあまり詳しく語られる必要はないだろう。p 話を戻そう。…そう、何が困るって、ラピスは『極度の方向音痴』のくせに、いつも不思議と、約束の時間にぴったり一時間遅れで姿を見せる。そんな事実を知ると、むしろこれも一つの特技のように思えてきてしまうのだが…。
 ならば、その本来の約束の時間を一時間早めて知らせておけばいい、と言う人も出てくるだろう、きっと。
 …けれど、ナイルの経験則から言えば、その案は役に立たなかった。
 実際に試してみたことがあるのである。ラピスの恐るべき第六感が照明された日だった。
 その日、ラピスはきっちり二時間遅れで現れた。
 それ以来、彼と待ち合わせをしなければならないときには、予定に一時間分の時間を作っておこうと決めたナイルである。
 おかげで、暇潰しの方法を見つけるには事欠かなくなってしまった。
 ちっとも嬉しくない。
 ラピスが空間判断能力に異状を持っているわけでもないし、例えば地図を見せれば現在位置を特定するのは容易そうだ。何がそんなに彼を彷徨わせるのか、いい加減、諦めようとも思うのだが、こうも改善が見られないとなると諦めを通り越して呆れそうになる。
 彼の友人のロウ・シェーナなどは、
「そりゃあもう、持って生まれた才能に相違ないね、間違いなく」
 とナイルに向けて断言してみせた。
「才覚を否定することは、その者の人格を否定することに等しい。だから、周りの者はどうにか理由をこじつけるか、彼の知人となってしまったことが運命の一角だと無理にでも自分を納得させて、彼を受け入れるしかないわけさ」
 なんて小難しいことを言うのだが、何処か間違っているように思えてならない。
 ナイルとしてみれば、黙って溜め息をつくしかない。
「分かってるさ。分かってるけど…」
 アレはあまりにも普通じゃないだろ? と、何十回と繰り返したか知れない呟きを漏らすのだった。
 方向音痴が才能だなんて。
 それとも…、逆なのだろうか、と思えなくもない。むしろ、メタメタに迷うくせに、最後にはきっちり一時間の間を作って目的地に辿り着くことの方が、ある意味凄いのかもしれない。何せ、ラピスを彼の全く知らない土地で歩かせても、『迷う』のは同じとはいえ、きちんと目的地に辿り着くのも同じなのだから。
 単に、才能という言葉が当てはまらないだけで、ラピスが他の人と変わっているという事実だけはどうにも覆すことが出来ないことを、ナイルもちゃんと把握している。
『今夜、いつもの時計塔の前で』
 フォンコールで連絡をしたのが、大体二時間前。家を出たナイルが約束の時間ぴったりに到着したのは、その二十分後。
それから六十分掛けて、彼は暇潰しをしている。

 時計塔の側に『点滅少年』という自動人形(オートマタ)がある。
 マネキンのように精巧に形作られた彼は、ベンチの丁度半分を占領する形で座り、時折小さく動き、存在を主張している。
 彼はその名の通り、点滅している…、というわけではない。始終、電波塔のようにメッセージを外部に発しているのだが、その声は確実に一言飛ばしで発せられているのだ。つまり…、
「こんにちは、ボクはナイルです」
 とナイルならば言うところを、
「こ、に、は、ボ、は、イ、で、…」
 と言うのである。この不協和音に等しい呟きが、意外と暇潰しに役立つ。
 例えば雑踏の中で会話するとき、ふとした拍子で聞こえない相手の声があったりする。そういうとき、人は無意識にその聞こえなかった部分を前後の話の成り行きや脈絡で想像し、判断し、会話を無理なく繋げることが出来る。
 普段考えなしにしていることを意識してすることが…、しかも、垂れ流しの言葉を聞き取ることのなんと難解なことか、想像するに難くはないだろう。一文字抜かしで喋ることの違和感は恐ろしいほどに大きく、点滅少年の隣に座っているだけでその混沌が耳に飛び込み、街の雑踏と絡まって、頭が痛くなってきそうになる。
「き、う、あ、か、い、て、き、つ、い、ま、」
 レディオの電波がコンマ一秒ごとに精確に途切れては繋がるように、淀みなく流れる『点滅』を聞き、一度、彼の言葉をメモしてメッセージの正体を推理してみようかと思ったこともあったが、聞き取るだけでもじれったく、ナイルは他の人が思うほどに点滅少年が娯楽的な役割を有しているとは思えない。
 多分、その不連続性が機械仕掛けの少年の有様を一番示していると言えよう。それがなければ、単なる垂れ流しのメッセージボックスと同じ意義しか持たないことになる。
(…でも)
 今も彼のメッセージを何気なく耳で捉えながら、ナイルは思う。
 言葉を介してコミュニケーションの遣り取りをすることが出来るのは、人間だけだ。…少なくとも、人間はそう思っている。
 他の動物たちにも声を出すことの出来る種族は多いし、彼らなりの伝達方法があるはずだという考えに反対はしない。
 取り敢えず、人ほど滑らかに言葉を使って意志を伝えることの出来る生き物は、現在の諸世界各地の何処にも確認はされていない。その意味では、人間はコミュニケーション能力の最北を行く存在の一つだと言われていることにも頷ける。
 でも。
 その半分をきっちり聞こえなくさせると、如何にその情報が伝わりにくいことか。点滅少年の言葉の聞き取り難さ、…それ以上に、『本当に彼は意味のある文章を口にしているのか?』という疑問が当然のように浮かんでしまうことを思えば、人の言葉なんていうものは、区切る境界線によって全くその価値が変わってくるものだと気付く。
『ボクの名前はナイルです』
 という一文を、横半分で切ったとき、
『ボクの名前は』
 では、『彼の名前』という肝心な部分が分からないが、
『ナイルです』
 ならば、ひとまず目の前にいる少年が『ナイル』なのだろうと推測が立つ。
 ところが、同じ一文を一文字ずつ区切って二つに分けたとき、
『ボのまはイで』『クなえナルす』
 となり、既に意味を持たない文字の羅列になってしまう。
 点滅少年は、まさにこの区切り方で言葉を喋っているのだ。
 ポケットに突っ込んできた文庫本を読み終わって、近くのコーヒーショップで空いた小腹を満たすためにお茶をして、それでも時間が余ったナイルは、点滅少年の横に立って、彼の口から零れ出す言葉を必死に聞き取ろうとした。
「こ、や、き、き、い、ほ、ぞ、と、る、し、う」
 が、簡単に理解が出来るはずもない。元より確固とした解読方法がないために、このカオス・トークが単なる機械の故障なのではないか、というクレームが収まらないという話を聞いたこともある。
 彼の言うことを理解しようと思うのならば、もう一体の点滅少年を連れてきて、区切られたもう一方の文章を同時に喋らせなければなるまい。
 そう思い、
「…もしかしたら、そういうことなのかな」
 そうなのかもしれない。ふと、ナイルは思った。
 点滅少年は、本当は二体いるのではないか、と。
 それでようやく、納得がいった。点滅少年は、確かに点滅していたのだ。ただし、彼が点滅して一瞬『消えた』ときには、何処かにいるもう一方の少年が声を出している。そうやって、お互いを補うことにより、きちんとした一つの淀みない文章が浮かび上がるのに違いない。
「うん、そうだ、きっと」
 ナイルは一人、頷いた。この街に溢れるトリック・アートだ。
 点滅少年は、中途半端に作られたのではなく、技巧の一環として巧妙に仕組まれた巧みによる工芸だったのだろう。
 一つの疑問が自分なりに解けて、少しだけナイルは自分の機嫌が良くなるのを感じた。
 けれど、友人への苛立ちが完全に解けたわけではない。改善の仕様がない方向感覚の欠如に等しい『才能』に向けた、憮然とした感情の行き着く先が落ち着かずに、彼は同じ場所で十回以上も出し続けている溜め息を、再びつくのだった。
 いよいよ、アイツとは一緒に住んでやらないと神経が焼き切れてしまうかもしれない、そうナイルは思う。
 それだけじゃなく、首に首輪をつけて、いつも鎖を引っ張ってやるくらいでないと。
 あるときナイルがラピスの元を訪れた際、散々言いくるめたのに、自分だけで大丈夫だと、住居の直ぐ近所にある自動販売機にドリンクを買いに行ったまま戻らなかったラピスが、ようやく戻ってきたのが案の定一時間後だったりするのだ。それも、その自販機はラピスの部屋の窓からよく見える位置にあって、その中にナイルの姿が見えていたかもしれないというのに。
 これはもう、マッピング・スキル云々の話ではないのかもしれないと思ったこともある。
『何かが抜けている』で済む問題じゃない。
 が、長年行動を共にしていると、今日のように自分の行動すらもラピスの習性に自然と添うようになってしまっていることに気付かされ、、そのときには苦笑するしかないのだ。伊達に彼のことを知らないわけじゃない。
「だって…、それでもボクは、アイツを嫌えない。ラピスから離れたいとは思えないもの」
 最後には、その結論に落ち着いてしまうのだ。
 そう、方向音痴が気に入らないのなら、本当に始終その姿を視界の中に留めておけばいい。実際、今日のように突然の召集でなければ、ナイルはまずラピスの家に寄って彼を拾い上げてから、集合場所に二人で向かう。その程度のことはもう、気配り以前の問題として片付けている。
 ラピスはナイルのことを気に入ってくれているし、ナイルも彼のことが正直好きだ。
 というより…、ラピスの声が、好きなんだ。

 先程まで聞こえていた『BGM』の曲は、違う曲に変わっていた。確か…、パメラ・クラヴィスの新曲、『無形の天使』。テクノロジカルなパーカッションとシンセサイザーのインストゥルメンタルも印象的で、トランス・ミュージックの楽曲としても定評がある。
 何故か人を惹き付ける、透明な声を震わせる歌い方をすることで有名なパメラだが、本人の姿が表に出たことはない。
実は某企業の開発したディジタル・シンガーなのではないかという囁きもあることをナイルは思い出す。
 『BGM』とは雰囲気が全く異なるその歌には、ある大きな仕掛けが施されているらしい。技巧の意味での『トリック』というわけだ。そう言われて聞いてみれば、成る程、確かに何となくではあるが、『普通の曲とは何かが違うような気がする』と誰もが言う。
 ナイルも同じ感想を持ったが、その正体を掴むことは出来ずにいる。むしろ、その違和感が表出したことで、パメラの歌声を歪めて聞き取られてしまっているのではないかと、密かに危惧している側なのだが。 やっぱりボクは、ラピスの歌声が一番好きだ――。
「お待たせー」
 考えた途端にその声が聞こえて、ナイルはビックリした。
振り返ると、ラピスの待つアズライトの瞳が彼を覗き込んでいた。『ナイル・ブルー』の色よりもずっと深い青。
「舞ったよっ!」
 時計塔の文字盤を見上げて、いつもながらにきっちり一時間遅刻してきたことを確認し、半ば大袈裟にナイルは声を荒げる。
半ズボンで剥き出しだった膝が随分冷えてしまっていることに、今頃になって気付いた。
 照れくさそうに頭を掻いて、ラピスは微笑んだ。
「ごめんね」
 ああもう、そんな、悪いことなんてこれっぽっちも出来ない、と信じ切っているような顔をされたら、罵声の言葉なんて何処かに勝手に逃げて行ってしまいそうだ。
「っていっても、いつものことだけどさっ」
 だから、ぷい、と顔を背けてナイルは答える。
「ホントにゴメン、いつもいつも」
「いつもいつもいつも! もう言い慣れちゃったよ」
「うん、その言葉を聞くのも」
「…だったら、少しは気にしてみてよ」
 ラピスは、自分が方向音痴だということを自覚していない。ナイルたちラピスの友人は、口を酸っぱくしてそれを追求しているのだが、一向に改善が図られないことからもそれは明らかだろう。けれど、時間を指定して待ち合わせをする度に相手を待たせる申し訳なさは常々感じているらしい。
 だから、明るい声の裏側で、耳が少し垂れてしまっているのを見て取り、何で自分が悪いことをしている気分になるのだろう、そうナイルは思ってしまう。
「そうだな…、ジンク・ホワイトのカクテルドロップで手を打つよ」
 言うや否や、ぱあっとラピスの表情が明るくなった。
「うんうんっ、お安い御用っ」
 つい癖で、ナイルは意地悪なことを言ってみたくなる。
「安いの? ボクって、ラピスにとってその程度?」
「あっ、そうじゃなくって! ご、ごめんっ」
 また、ふにゃんと表情が曇る。懐柔されるのがどちらなのか分からない。
「ああ…、もう、謝るのは禁止! ボクは怒っていないんだから」
 ぽーん、と背中を叩いて、ナイルは、
「オーケイ? じゃ、行こう」
 そう声を掛けて、歩き出した。
ラピスの手を引くのも忘れない。そうでないと、三秒後には彼の姿はナイルの視界から消えてしまう。
「ボクはね、きみとの待ち合わせ用に、って文庫本のストックを部屋の本棚に作って溜めてるくらいなんだから。きみがいないと始まらない事情があったら、ボクはどう取り繕えばいいんだろう、っていっつも考えてるんだからね」
「分かってる。迷惑掛けてます」
「今度、きみのために首輪を買ってあげようかと思ってたとこ」
「首輪?」
 真面目な顔で首を傾げられて、ナイルは思わず笑ってしまった。
「…ううん、なんでもない。こっちの話だ」
「変なの」
 しばらくラピスは怪訝そうな顔をしていたが、直ぐにいつもの表情に戻って、歌を口ずさみ始める。

 ――本当のホントを知りたいなら、ボクと一緒に来るといい
 全ての真実と虚構を持って、ここで待っているからさ
 だけどこれだけアテンション、ボクは儚きダミー・ドール
 きみに似た人、探しに行こう。月と星降る明日までに…

 ――『BGM』の最新曲である『天使を作ろう。』の一節だった。パメラ・クラヴィスの『無形の天使』とタイトルが似ていることから、二者はいつも並べられて評価される。バンドとしても、その曲調としても性質がほぼ反対であることで、ナイルはいつもパメラを意識してしまう。
 一方、ラピスは全くそんなことには無関心であるようだ。
 …というよりも、彼は自分の歌が歌えれば、それが何よりの幸せなのである。ナイルも、彼のそんな性格を何より買っている。
 ちょっとだけ、その能天気さが羨ましいかもしれない。
 言わずもがなだが…、そう、ラピス・ラズリは、『BGM』のメイン・ヴォーカルである。そしてナイルは、彼のサポート役を担っている。ラピスの口から溢れる音律は、まさに先程までスピーカから流れていた『ラピス』の歌声に相違ない。
 ラピスの放つ音は、その全てが機械仕掛けのもののように型にはまってすら聞こえる。
 しかし、本物の機械の持つ冷たさはそこにはない。それが不思議だった。
 決して無機質にならないそれらの音律が、全ての場のBGMに相応しく響いて聞こえる。
 ラピス本人は意識していない、この技術技巧こそが、パメラの弾くシンセの鍵盤に真っ向から対立する構図を作り出す。
自然のものとは思えない、まるで『カナリア』の声だ、と評価されているのが、ラピスの声だ。
 ナイルは正直なところ、その評価を面白く受け止められない。
 『カナリア』とは、謳うことを目的に科学的化学的に処置が施された喉の状態のことを言う隠語なのである。
 今はもうこの世に存在しない、カナリアという鳥がいた。
 天上の音楽に等しい透き通った音律で歌い上げる鳥を、かつては誰もがこぞって手に入れようとした。
 しかし、その乱獲の影響で、野生のカナリアは絶滅し、今ではその亜種が残るのみである。亜種といえども美しい声を響かせて人々の耳を楽しませるが、かなりあの『聞く者を狂わせる』とまで言われた美声は、失われて久しい。
 ラピスの声は、そのカナリアに近しいとまで言われているのである。勿論、ラピスのそれは持って生まれたものであり、作り物などでは決してない。
 確かに人々を魅了し続けている『BGM』の歌だが、それが狂信的な役割を担っているかといえば、そうではない。
 『耳にしていると心地良い、歌を意識させない音楽としても聞こえる』という歌。それが『BGM』の持つ数々の歌だ。
 一見、ラピスの歌を否定されているようでいて、しかしこれは何よりの評価でもある。『音楽』というのは元々、人間の感情や思想を音で表現する芸術である。声楽と器楽という二つの分野に分けられ、ラピスたち『BGM』は、曲に歌詞を乗せて歌い上げる声楽を創造している。
 そこで『歌を意識させない音楽』という批評を当てはめてみる。音符の上に言葉を乗せることで初めて意味を成してくる声楽の分野で、インストゥルメンタルのみでの評価と、歌詞の持つ詩としての価値、そしてその二つを組み合わせた上での声楽の価値に加えられた『楽』としての価値。その全てが認められたに等しいのである。
 これはアーティストとしての何よりの喜びではないだろうか。
 パメラ・クラヴィスとの違いはそこにある。パメラの場合、器楽的に完璧なインストゥルメンタルを作り上げることにより、一つの曲の完成度に隙をなくしている。その完成度、そのものの評価も高いのだが、しかしそれによって、曲の中に聞き手が入れる解釈の隙も、また存在しないのである。ただ圧倒されてしまう洗練さは、『BGM』には確かに足りないもので、けれどナイルは、自分達にはそれはなくてもいいものだと思っている。
 パメラのやり方が間違っているというものではない。ナイル自身、パメラには自分達の持っていない多くの才覚が宿っているのだと確信している。ただ、明らかに違う二者の性質が表に出ている以上、それに今更口出しをしたくないと思うだけだ。
 グループ名に相応しく、誰にでも当たり前である音楽、すなわち『BGM』であり続けることが、自分たちの目標なのだと、ナイルは思う。それが『音楽』じゃないだろうか。

「そうだ。さっき、ここに来る途中で面白いものを見たんだよ」
 耳に心地良い音を途切れさせ、ラピスは思い出したように口にした。「なに?」
 そう大したことでもなかろうと高を括りつつ相槌を打ったナイルだったが、次の彼の言葉に仰天しそうになった。
「ナイルは、新しい点滅少年って見たことある?」
「…え?」
 新しい点滅少年?
「先刻の時計塔の側にも、一人いるでしょう? 今日、他のところでもう一人、見つけたんだ。双子の点滅少年だよ」
 知らなかったでしょ、と自慢そうに言う。
「ど、何処っ、それ?」
 思わず意気込んで聞き返してしまう。けれど、
「…ごめん、分からない。通りすがりだったから」
「ああ…」
 やっぱり。
 道すがりの目的物について尋ねた自分が莫迦でした、そうナイルは自嘲して、
「じゃあ、もしかして…、その子が何を言っていたのか、覚えていない?」
 駄目で元々、訊いてみる。
「ええとね…、『…よ、は、さ、ら、い、ん、が、づ、て、す』だったかな」
 彼は、あっさり思い出した。
 ラピスの記憶力は、なかなか侮れない。彼は人の言葉を音程で覚える癖があるのだ。
 歌の歌詞と同じで、彼は時折、歌うように喋る。これも天賦の才と言えるのかもしれない。
 先刻、あの機械少年は何を言っていたのか、必死にナイルは思い出す。
『き、う、あ、か、い、て、き、つ、い、ま、』
 だった、と思う。自身の記憶力を信じ、二つを合わせると…、
『きょうはあさからいいてんきがつづいています』
「今日は朝からいい天気が続いています…、か!」
 ぽん、と掌を打ち鳴らして、ナイルは快哉を叫び出したい気分だった。
「え? なに? どうしたの」
 横でラピスが、疑問符を頭の上に浮かべて彼を見つめている。
「他は? 他に何を言っていたか、覚えてる?」
「えっと…、『…ん、の、ん、は、れ、し、ら、な、で、よ…』」
 再び、耳と脳の機能をフル回転させて、少し前に聞いた言葉の音律を蘇らせる。
『こ、や、て、き、き、い、ほ、ぞ、と、る、し、う』
 ラピスの回想を聞きながら、よくそんなことを覚えていられたな、と思ったが、自分もそれは同じだったらしい。
 余程不思議に思っていたんだな、と苦笑したくなる。
 …二つを合わせれば、
『こんやのてんきはきれいなほしぞらとなるでしょう』
「今夜の天気は綺麗な星空となるでしょう。…ウェザー・リポートだったのか」
 あの少年が何のために座っていたのかが、ようやく分かった。
 トリック・アートの一品、恐らくは双子の点滅少年。彼の片割れは、本来ならば同じベンチに隣りあって座っていたのだ。そして、一つのメッセージを一音ずつ区切って、互いに発音している。そういう存在なのだ、彼らは。きっと、二体が揃えば怖いくらいのシンクロにシティ・メッセージを聞くことが出来るに違いない。
 しかし、誰か――悪戯好きの何者か、或いはただの酔狂か――が、そのうちの一体を何処かに連れ去ってしまった。
 あの不明瞭なメッセージの発信は、それによる意図的な、或いは事故的なものだったというわけだ。
「ねえ、ナイル、何がどうしたのさ」
 一人頷きつつ納得しているナイルを見て、またラピスは怪訝そうな顔つきで訊いた。
「ふふ…、点滅少年の謎が、解けたよ」
「謎?」
「そう、謎」
 ただし、ボクが一人で思いついて、一人で勝手に解いた謎だけれどね。
 微笑んで、ナイルは話し始めた――。


2 >>

目次


Copyright(c) Kazui Yuuki all rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送