無形の天使の見つけ方

 「そこには一つだけ嘘がある」


「それって、本当に本人だったの?」
 ジャスミンティーの入ったポットをテーブルの上に置き、ロウ・シェーナは問い掛ける。
「うん。声が同じだったもの」
 点心をぱくつきながら、ラピスは答える。
 休日の、彼の部屋である。
 世に類稀なる方向音痴のラピスは、自分から友人の家に遊びに行くことをしない。
 というよりも、友人の方がやんわりとそれを拒否している。
 ラピスが無事に自分の元に来るのか、また彼の家に無事に帰れるのか心配でならなくなってしまうからだ。
 だから今日も、ロウの方から出向いてラピスの部屋にやってきた。随分前からラピスと行動を共にしている彼や、同じ友人のナイル・ブルーなどは、ラピスを1人で外に出させないよう苦労することしきりなのである。
 ラピス本人に、未だ超絶的な方向音痴の自覚がないことが、彼と付き合う上での一番の悩みと言って差し支えないだろう。
 それはさて置き…。
 つい二日前にも、自分が迎えに行けなかったために渋々、ラピスの側から出向くよう頼んで待ち合わせをしたのだが、案の定彼はきっちり一時間遅れで現れた。何をしていたのかなど今更聞きたくもなかったが、『迷っている』最中に、かの有名なパメラ・クラヴィスに対面したとラピスが口にし、…ロウとしては興味が惹かれないわけがない。
 何せ、パメラはこれまでに一度もその姿を表に見せたことがないのである。
 その独特の曲調と声の質で、男か女なのかも判断が付かなかったくらいだ。
「声ね…、ラピスが言うんなら、間違いないんだろうけど…」
 内心、ロウは釈然としないものを感じていた。
「だって、『パメラ』って女の人の名前だと思ってたよ」
「それはボクもそう思ってた。ヴィジュアルが表に出たことがなかったから、きっとハスキィな声をした女の人だとばかり」
 はむ、と二つ目の点心に噛み付いて、何度もラピスは頷いた。
 食べ物で釣るのはどうかとロウは思ったけれど、外見に似てお子様な食べ物に弱いラピスである。
「それにしては、あまり驚いた様子じゃないね」
「だって。顔を見ただけじゃ、その人の声がどんなのかなんて分からないでしょ? その逆だって同じだよ」
「はあん…、なるほどね」
 きみらしいよ、とロウは零した。
「きみの話を聞いて、一つ思ったことがある」
「ふぁひ?」
 口一杯に頬張っているせいで言葉になっていないラピスに苦笑いを見せ、ロウは言う。
「もしかしたら…、パメラ・クラヴィスは『カナリア』なんじゃないか、って思うんだ」
「カナリア?」
「聞いたことない? 声帯に術式を施すことで、人工的に、普通の人よりも幅広い音域の声を出すことが出来るようにすることが可能らしいんだ。その処置を受けた人のことを、隠語で『カナリア』って言う」
「へえ…、うん、前にナイルもそんなこと、言ってたような気がする」
 一つ頷いて、ロウも点心を一つ取った。
「少年の声変わりを防ぐための声帯の手術がことの初め。ボーイズソプラノって、思春期を迎えて声変わりがしてしまうと、もう出せなくなってしまう音域だろう? あれは、声帯の筋肉が固まってしまうからなんだ。だから昔、ボーイズソプラノを維持するために、声帯を切り取ってしまう行為が行われたこともあったみたい」
「うわあ…」
 ラピスは途端に痛そうな顔をする。
「随分前に、術式の慣例は取り止められたらしいけれど、今では、技術的には全く問題ないらしいからね。事実、表には出ていないけれど、『カナリア・コール』の処置を受けた人は結構いるらしい。…そうだ、『カウンター・テナー』って知ってるだろう?」
「テノールのトーンのままで、ソプラノの上まで音域を高めた歌い方のことでしょ?」
「そう。先刻説明した『カナリア・コール』と違って、カウンター・テナーの人たちは、その音域の声を出す訓練をして、普通なら出ない声まで出している。それこそ、喉から血を吐くような思いをしてね」
 ロウは思い出すような仕種で、
「カナリアは、その月日の消費がない代わりに、声帯を痛めるのも早い。数年から十数年で声を失ってしまう、とも言われている。…最もコレは、唄歌いの宿命の果てでもあるけれど」
 統計学上の問題だけれどね、と彼は付け加えた。
 コクコクと頷きながら、ジャスミンティーを飲みつつ、ラピスは耳を傾けている。
「話を戻すよ。作り出されたボーイズソプラノは、すなわち『カナリア・コール』のことだと言ってもいい。声変わりが人間の成長に付随したマイナス要因なのかは一概に言えないけれど、それによってある種類の『声』が失われてしまうのは、少し惜しい。だからかな、ボーイズソプラノはしばしば『天使の歌声』なのだと形容される。透き通った音律とハイトーンの調べ、それが『少年』という、大人でも子供でもない存在の喉から溢れ出して人々を魅了する。『エンジェル・コーリング』とはよく言ったものだね」
「それが、…パメラ・クラヴィスとどういう関係?」
 分からないかなあ、と危うく言いそうになり、しかしロウは続ける。
「うん、ボクは思うんだ。あの人はきっと、喉を弄られたボーイズソプラノの持ち主で、なおかつ、『カナリア・コール』の声を持った人なんだって。声帯模写ってのがあるだろう? それを精巧にしたようなものだと思えばいい。パメラは、自分の内側に少年を――天使を飼っているんだ」
 御高説賜り次第、といった感じで、
「ロウ、よく知ってるね」
 感心したような、尊敬にも似た視線で見上げるラピスを見返し、ロウは、
「きみだって、そう思われているんだよ」
「え? ボク?」
 指摘にラピスは、アズライトの瞳を丸くしてキョトンとする。
「きみは自分では思っていないようだから、一々言わずにいるけれど…、『ラピス・ラズリの声は「カナリア・コール」だ』とも思われている」
「でも、ボクは――」
「分かってる。きみの声は間違いなく天性のものだ。それはボクたちが誰よりよく知ってる。作り物には出せない響きを、ボクらはいつも感じてる。だからこそかな、カナリアを感じさせるパメラと並べて聞かれることに、ボクの方が違和感を感じてしまうんだ」
「うーん…」
 すんなりとは解釈がいかない様子で、ラピスは短く唸る。
 裏には裏があって、表はその裏の『裏』だということで…。
「まあ…、何が何処まで事実で真実なのかは分からないからね」
 ロウは言う。
「いいかい? 例えば、パメラには双子の姉がいて、実際に歌を歌っているのは彼女なのかもしれない。パメラ自身が歌唱に寄らずカナリアなのだとしたら、骨格の相違によって、同じ声が二つ存在しているのだと考えられなくもないからね」
 くるくると視点が変わるロウの話に、ラピスは付いていくのが精一杯のようだ。
「そう、なの?」
「そう。結局、それくらいに、『パメラ・クラヴィス』は謎に包まれたアーティストだってことさ。本人がそのまま、トリック・アートで出来ている人物なのかもしれない、と思えるくらいにね」
「そうかあ…」
 長い息をついて、しばらく考えるような表情を見せていたラピスに、
「よしっ、決めた」
 ロウは声を掛けるように言った。
「なに?」
「新曲のタイトル。今回はボクに一任してくれないかな」
「ああ、うん。詩はボクで、曲はナイル、編曲がロウだものね。…で、そのタイトルは?」
「『天使を作ろう』なんて、どう?」
「無形の…、形のない天使、ってことだね。うん、良いんじゃない?」
 ラピスの同意にロウは密やかに笑って、
「いっそ皆に、テンゴクを見せてやりましょう」
 一言、そう告げた。



("LAPIS LAZULI'S PRUSSIAN" Be Closed.)


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