「わあ…っ」
ちょっと歩くと、もう辺りの景色は見知らぬものになる。
大きな家、小さな家、すごく大きな建物。
白い壁、茶色い壁、変な線がいっぱい書かれた壁。
灰色の塀の奥で、青や黄色、紫色の花が咲いた花壇。
電柱、標識、看板。
日が当たって、みんな、とっても明るく見える。
風が運んでくる香りも、ボクの知らないものがたくさんだ。
それは、さっきの花壇だったり、どこかからのペンキの匂いだったり。
柔らかい風が、僕の身体をそっとなでていく。
ちょっとくすぐったくて、ボクは笑い出したくなってしまった。
わけもなく、楽しいと思う。
辺りをキョロキョロ見渡しながら、ボクはてくてく歩いていった。
それほどには広くない道。
けれど、車とかはあまり通らないので、ボクは時々、道の真ん中を歩いてみたりする。
塀の向こう側から少しだけ先っぽをのぞかせている木の枝に、小鳥が止まってさえずっている。
この街は、本当に静かでいいな、と思った。
ボクは、静かなところが好きだ。
というよりも、さわがしいところは、あまり好きじゃない。
うるさいところにいると、耳を塞ぎたくなってしまう。
うーん…、簡単には、できないんだけどね。
それから…、ちょっと、ヒト見知りが激しいボク。
家にいても、お客さんが来たりすると、つい、子供部屋の方に避難してしまう。
道を歩いていても、前から知らないヒトが歩いてきたりすると、ちょっとドキドキして、すみっこに避けたりして。
声を掛けられたりしたら、逃げたくなってしまうだろう。
癖だから、仕方ないんだけど。
それからそれから…、ボクは、どうしてもヒト混みが苦手だ。
ヒトだらけのところにいると、それから逃げたくなってしまう。
そういう中にも平気で飛び込んでいく子もいるから、ボクにとっては不思議だ。
うん…、普段は困るようなことでないから、ボクは特に気にしていないけど。
癖、というより、習性、というヤツかもしれない。
…なんなんだかなあ。
例えば…、ボクは、ヒトにじっと見つめられるのにも弱い。
気にしないように、と思っていても、つい視線が合ってしまったときには、目がそらせない。
そうしているうちにも、またじわじわと恥ずかしくなってきたり。
何度も振り返って、相手がまだそこにいるのか確認したくなったり。
心配性なのかもしれない。
――そんなことを考えているうちに、前から知らないヒトが、一人。
一瞬だけ目が合って、向こうが先に目をそらして、…ボクはなんとなく、ホッとしている。
はぁ…。
恐る恐る、ボクは後ろを振り返る。
…どんなヒトだったっけ?
すれ違ったヒトを、少しだけ見直してみたくなった。そのとたん、
「わわっ…!」
相手がこっちをパッと見たので、ボクはドキッとして、慌てて駆け出してしまった。
ああ、びっくりした…。
変に思われなかったかな?
それからしばらく行くと、ちょっとした公園が見えた。
道路が交わっているところにできた、すきま、といった感じの場所。
ベンチが二つと、滑り台が一つ。それから、風に揺れるブランコ。
あと、いくつか花壇があるだけの、小さな公園だった。
あちこち歩き回って、少しだけ喉がかわいたボクは、そこに水飲み場を見つけて、ちょっとだけ休憩することに決めた。
高い木が近くにあって、ベンチの上は、木陰になっていて、一休みするにはちょうどよかった。
花壇には、なにか赤い花が綺麗に咲いていた。
僕は鼻を寄せて、フンフン、と匂いをかいでみる。
「あ、いい匂い…」
うっすらと、蜜のような匂いがした。
確か、名前を知ってる…。
よく見知った形の花。
『猫の尻尾』だったかな? 違うかな。
そんなような名前なんだ。
――ベンチの上で、ボクは一息つく。
ここから、ボクの家は見えないだろうか、と思って、首を伸ばしてみたけれど、いろんなものに隠れて、見えなかった。
残念。
結構遠くまで来たんだな…。
ちょっとだけ、ため息。
うきうきした気分は、まだ続いてる。
でも…、とボクは思った。
何をしても、何を見ても楽しいけれど…。
誰かと一緒だったら、もっと楽しいのにな。
そんなことを考えながら、滑り台のてっぺんに飛び乗って、
「おっとっと…」
すーっと下りて、小さな砂場に足をつけたとき。
公園の入り口に、ボクくらいの子が歩いてくるのが見えた。
…少し、ボクは緊張した。
こんなときも、悪い癖、だ…。
ボクに気づいて、こっちに来る。
ドキドキドキ…。
話しかけられるのかな…。
逃げちゃうのは、あんまりだし。
無視するのも、ひどいし。
ボクは、話しかけようかどうしようか、口を開けずにいた。
そのとき。
「こんにちは」
その子は、ボクに微笑みかけて、そう言った。
「あっ…、こ、こんにちはっ」
ボクは、向こうから話しかけてくれるとは思ってなかったから、ちょっとビックリして、慌てて答える。
その子は一瞬キョトンとしたけれど、
「ふふっ」
そんなボクを見て、少し笑った。
ボクも、
「えへへ…」
と、照れ隠し。
それで、一気に二人の間がなごんだ感じ。
ほっとした。
「はじめまして、だよね。ぼくはルイ。きみは?」
その子は、軽く笑って、自己紹介した。
「あ、ボクはユイ。はじめましてっ」
ボクも、ルイと名乗ったその子に習って、名前を名乗った。
ぺこん、と頭まで下げてしまった。
ルイは、ちょっと考えるようなしぐさを見せて、
「この辺じゃ、見かけないよね。どこの子?」
とボクにきいた。
「あ、うん。こっちに引っ越してきたばかりなんだ」
ボクはだんだん落ち着いてきて、いつものように話せるようになる。
「そうなんだ。じゃあ、まだこの辺のことはほとんど分からないよね」
足下の砂をトンと蹴って、ルイは言った。
ボクは素直にうなずく。
「でも、この街、いいでしょ?」
「うん。静かな街って、ボク好きだな」
ボクが答えると、そうだね、とルイも言う。
そして、ふと気づいたように、ルイは明るい表情をした。
「そういえば、ぼくときみの名前って、似てるね」
そう言われて、そういえば、と思った。
ユイとルイ。
「ホントだ。そっくりだね」
ボクはそう言って、そして二人で笑った。
会ったばかりなのに、急に親しみがわいた。
もしかすると、ボクとルイは、結構似てるかもしれない。
そんなふうに思った。
ルイは、いいことを思いついた、というように、
「ね…、よかったら、ぼく、いろいろ案内してあげようか?」
楽しそうな顔をして、ボクに提案した。
「え、いいの?」
ボクはキョトンとして、ルイを見つめる。
「うん。実はボクも、結構最近にこっちへ来たんだ。だから、ユイと似たもの同士」
そうだったんだ。
ちょっと迷う、自分。
ボクは、思い切って、ルイに言ってみた。
「ルイ」
「ん?」
「…あの、ね」
「うん」
ルイは、なかなか言い出せないボクにも、何も言わずに少し待った。
優しい子なんだ、って分かった。
ああ、ボクは子のこのこと、好きだな。
ボクはもう、そう思っていた。
「ボクと、友達になってほしいな」
ちょっとだけ下を向いて、ボクはやっとそう言った。
ルイは、さっきのボクのように、一瞬だけキョトンとした。
それから、なあんだ、笑って言った。
今度は、ボクの方が、またキョトンとしてしまう。
でも、ルイの返事は嬉しいものだった。
「もちろん。ぼくも、ユイと友達になりたいな」
「ホント?」
「うん」
にっこり笑ってルイがそう言うので、ボクは凄く嬉しくなって、ルイよりもにっこり笑った。
「ありがとうっ、ルイ」
「こちらこそ。改めて、よろしくね、ユイ」
そうして、ボクたちは友達になった。
□ □ □
「行こう、ユイ」
そう言うと、ルイはボクを引っ張るようにして歩き出した。
「わ、待ってっ」
ボクも慌ててルイの後に続く。
ボクとそっくりの名前の、ルイ。
会ったばかりのボクにも、すごく優しかった。
たくさん、新しいことを教えてくれた。
春には桜の花がたくさん咲くという、並木通り。
緑色の葉っぱが日に当たって、きらきら光っていてまぶしかった。
小さな魚が泳いでいるのが橋の上から見えた、きれいな小川。
こっちは、夏にはザリガニとかもいるらしい。
一度、手を挟まれた思い出があるけど、ずいぶん長いこと見てないので、ボクは楽しみだ。
垣根の隙間の意外なところが通れるようになっている、抜け道。
偶然、ルイが見つけたもので、友達以外には秘密なんだそうだ。
――友達以外には、秘密。
それを聞いて、ボクは少し嬉しくなった。
…友達とだけの、秘密。
ボク一人だけじゃ、絶対に見つけられないもの。
ルイは、それをボクに教えてくれた。
ルイと一緒にいろんなところを歩き回って、ボクはすごくくたびれてしまっていた。
でも、楽しかったのと、嬉しかったので、胸の中はいっぱいだった。
家に通じる途中の道で、ルイと別れた。
「ばいばい、ユイ。また一緒に、いろんなとこ、行こうね」
「うんっ、またね、ルイ」
そうして、ルイは、ルイの家に。
ボクはボクの家に、帰った。
その短い間にも、ボクはその辺を走り回りたい気分だった。
友達ができて、ボクはとても嬉しかった。
お散歩、と簡単に言い切れるものじゃない。
ボクは、宝物を見つけたんだ。
それは、新しいから、宝物なんじゃない。
ボクの中で、ずっと宝物でいられる。
それをみつけられて、ルイにも、ボクを友達だと思ってもらえて、嬉しかった。
すごく疲れたけど、…でも、そんなことは気にならないくらい、ボクは、今日、外に出てきてよかったな、と思った。
ちょっとほてった身体に、風が気持ちよかった。
「あっ…」
そう。急にボクは思い出した。
今朝、起きる直前に見ていた夢。
ボクは、誰かの名前を呼んだ。
『またね、――』
あれは――、
『またね、ルイ』
ルイの名前。
きっとあれは、正夢だったんだ。
ボクは、自分が微笑んでるのが分かった。
胸の中がいっぱいで、幸せな気分だった。
やがて…、ボクの家が見えてきた。
また明日、また何か、新しい宝物に出会えればいいな。
そう思いながら、楽しい気分で、ボクの一日は、また、終わりに近づいていく。
□ □ □
夕闇が辺りを染める。
静かな住宅街の、一軒の家。
その庭に帰ってきた小さな影。
それは、この家に住む一人の男の子だった。
「ただいま…っと」
昼に出掛けたまま、ようやく帰ってきた男の子は、少し疲れたのだろう。
ふう、と溜め息をついて、芝生の上を玄関に向かってゆっくりと歩いた。
けれど、その顔は楽しいことをたくさん経験した、明るいもの。
彼が庭の中ほどまで進んだとき。
「ニャウ」
彼の足元に、一匹の子猫が現れた。男の子の飼い猫だ。 男の子は足元に目を向け、笑みを浮かべる。
「あ、お前も今帰ってきたの? お帰り」
彼は子猫を抱え上げ、玄関の扉を開けた。
「お帰りなさい」
男の子がただいまの声を掛けると、それを聞きつけてお母さんが玄関に現れる。
「なんだか嬉しそうね」
彼の顔を見て、お母さんは言う。
「うん。今日は楽しいことがいっぱいあったんだ」
にこっと笑って、男の子は答えた。
「ユイも、散歩に行ってたみたいだね」
彼が腕の中の子猫に言うと、…子猫はなんだか嬉しそうに、ニャン、と鳴いた――。
”CAT TAIL”Closed――
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