傷ついた二枚のカード


 真っ白い、ジグソーパズルのピースが机の上、一杯に零れていた。
 美しい白だが、何処か空々しい『白』だった。
 けれど、言葉で言い表すことが無駄だと思うほどに、綺麗な白だった。
 無数にあるピース。それぞれの形ははっきりと目に見えて分かっているのに、全体の絵が全く見えてこない。二千ピースからなるジグソーパズルの元絵は、何も描かれていない真っ白なキャンパス、そのものだった。そこには、純粋にパズルを組み上げるという目的だけがある。
 一年に一度は、僕はその真っ白な下絵のジグソーを組み直したくなる。学校の図書館に飾ってあるのがそれで、僕は図書委員の特権を活かし、机を一つ借り切って、その日も放課後に一人遊びをしていた。何も考えず、ひたすらにピースを当てはめていく。なかなかには終わりが見えない作業。
 外枠が出来上がったタイミングで、ポケットの中で、マナーモードにしていた携帯電話が震えた。発信者は、現時点で一番友達付き合いの良い少年。名前は、コウタ。
『ケイゴ、今夜さ、ウチ来ない?』
 いつもながらの屈託のない明るい声が、耳に心地良い。
「どうしたんだい、突然に」
 僕は気のない振りをするかのような口調で、彼に応えている。
『あのさ、友達が今夜、オレんちにゴハン食べにくるんだ。ホラ、前に話しただろ。ムツミって奴』
「ああ、彼ね…」
 二人だけじゃ何だから、一緒にどう? そんな申し出を、僕は有り難く受けた。彼の料理の腕は、実はかなり気に入っている。願ってもない晩餐だった。
「ちょっとやりたいことがあるから、少し遅れると思うけれど」
『うん、全然オッケ。待ってるから』
 やけに機嫌の良い声で、彼は言う。僕も何度か相伴に預かっているが、コウタは他人に自分の料理を食べさせるときが一番楽しそうな空気を漂わせると思う。可笑しな奴。
「それも、彼らしさかな」
 僕はそう一人ごちた。
 土産を持参してやるか、と思いついた。夕飯の準備をしている前で菓子でも食べてみせたら、あいつはどんな顔をするだろう…、そんな意地の悪い思いが浮かんで、笑みが漏れた。コウタは、つい意地悪をしてやりたくなるような、自然と構ってやりたくなるような空気を持っている。
 外側だけ出来た方を額に移し、余りに余ったパズルのピースを箱に収めながら、僕は思い返している。

 ――ミサキにムツミという兄がいるということを知ったのは、彼が死んで、少し後になってからのことだった。
 オンライン上でのミサキの最後のメッセージは、ビデオメールという形でコウタに送られた。それが自身の死をほのめかす内容だったものだから、コウタはかなり懊悩としたらしい。彼方此方でミサキの行方を探す果てに出会ったのが、外見がミサキと瓜二つの少年で、それがムツミだった。けれど彼はコウタと初対面を装ったものだから、コウタは相当混乱した。
 その解決手段の発端が、僕に求めた助言だった。それを予想していなかったわけではないが、正直なんと言っていいものか迷ったのは確かだ。コウタは、ミサキの行方を探している。それに対し、彼はもういない、死んだのだとぞんざいに返していいものか、逡巡したのだ。
 ハッキングの真似事をして盗み見たカルテは、施術の結果を淡々と僕に伝えていた。
 ミサキが、コウタに向けてメッセージを発してくれたのは、彼なりの心付けだったのだろうと思う。僕とミサキの間には余計な優しさは必要ないし、それはきっとコウタの持つべき役目だ。
 だから、僕は僕なりにコウタを導いた。僕が全部を解決するわけにはいかなかった。それはコウタの役目であり、僕は助言者としての立場を守った。
 果たして…、コウタは、ミサキのメッセージの真意を見抜き、彼の双子の兄、ムツミと出会った。その後、僕はコウタから事の成り行きを全て伝え聞いたが、僕の一番の関心は――ムツミも、ミサキと同じようにオッドアイなのだろうか、ということだった。それはすなわち、ミサキの兄は、彼と同じ生来の病に侵されて生きているのではないか、という危惧に他ならない。
 学校が同じだったということもとうに知っていたけれど、ムツミに、僕は自分から会いには行かなかった。僕は、ギリギリまで知らない振りを装った。彼との初対面は、あくまで、ただの『コウタの友人』でいたいと思ったからだ。それは狡い考えなのだろうか。 ムツミとコウタを結びつけた一番の切っ掛けは、僕とミサキが結び付き、それを知らずにコウタとミサキがまた自然と結び付いた、僕のウェブサイトだ。だから、彼らがそれに気づいたときには、僕は潔く全てを話そうと思う。
 けれど…、それは、きっと出来ないだろう。あの夜は、掲示板の中で一瞬だけ立ち上がって、けれど誰かの書き込みもなく、管理人である僕に消された、一本のスレッドのようなものだからだ。 実は誰より全部知っている、なんて、そんな立場は本当は僕は好きじゃない。
 ミサキは、もういない。その予感を最初に知ってしまった者が、のうのうと知らない振りをすることが、優等生の振りであるわけがない。…けれど、僕はそれを厭わなかった。

「目、見せてくれないかい」
 ――だから僕は、ムツミとの初対面の場で開口一番、そう言った。その一言だけで、彼が僕の本心、その欠片に気づいたかどうかは、今となっては分からない。
 ムツミは、あの時のミサキと同じ色の目で、僕を見た。相手に伝わりにくい、僕特有の冗談を口にするとき、ムツミはミサキと全く同じ、少し困ったような顔を見せる。少しだけ、僕は嬉しくて、同じくらい、やはり、悲しかった。
 ミサキの言葉が聞こえなくなって以来、僕は煙草を銜えていない。シガレットに触れてすらいない。それは関係のない他者に対する偽善者の警告でもなく、健康を気にする自制でもなく、ミサキのことを忘れないため、それだけが目的で、動機なのかもしれない。
 最初で最後、ミサキの声を聞いた夜から、一年と三ヶ月。未だに、彼が僕の名を呼んだ響きを忘れられずにいるのは…、彼の中に僕と似たところがあるのに気づいたのと同時に、僕にないものを彼が持っていると思ったから、なのだろうか。
 幾ら組み直しても同じ柄しか浮かび上がってこないジグソーパズルとは違い、人の心に思いを馳せる行為は、毎回違った形を僕に見せる。思い出は映画のフィルムのように形が決まったものでしかないようでいて、見方によっては事実が違った角度から見えてくる。そんな感じだ。
 過去になってしまった友人を思うことが、無駄だとは思わない。
 それを思う今という時間は、確実に前に向かっているからだ。それを信じていられる限り、僕とミサキは友人でいられるのだと、また思うのだった。
 僕は確かに、ミサキのことを嫌いじゃなかった。それだけははっきりと言える。彼に直接言う機会はもう永遠にないけれど、そこにはきっと、偽りなんて入る余地はない。


("Misty Mission's Meadow Third" is closed.)


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