ルナティック・シンドローム


 ――校庭にある桜で一番大きな木の下には、死体が埋まっている。
 春になって他のどの桜よりも美しい花を満開に咲かせるのは、木の根が死体から養分を吸っているからなのだ――。

 そんな、冗談にしか聞こえない話を、けれど、誰だって一度は聞いたことがあるように思う。
 わたしは小学生のとき、友人伝いでそれを耳にした。
それは多分、いわゆる『七不思議』とかいうものに組み分けられる、実際には意味のないお決まり事のようなもので、わたしたちもあくまで暇潰しの井戸端会議の、そのまた時間稼ぎのお喋りの一環としてしか捉えていなかったに違いない。
 けれど。
 信じてなど、いなかった、けれど。
 人が信じる信じないに関わらず、…中には、あるものは、ちゃんと、ある。
 …わたしがこんな、まどろっこしい言い方しかできないのは、多分…、わたしもまだ半分くらいしか信じられていないからだろうと思う。きっと。
 もう何年も前に小学校は卒業してしまったが、自宅が殆どその隣にあったせいもあって、小学校の裏の林は、わたしの散歩のコースに組み込まれていた。
 週末の休日前、気分が向けば、わたしはよく散歩に出る。
 その言葉の示すように、宛てもなく小さな旅をするかのように、けれど見慣れた街の情景を横目に歩くのが好きだ。
 特に、小学校の裏の林には、お気に入りの小道があった。わたしの知っている植物は大抵そこで見ることができたし、街中では簡単には見られない野鳥の姿を目にすることができるのも嬉しかった。
 時折、宵の口に散歩に出ることがあった。
 女の子が一人で出歩くには無用心な時間帯だけれど、一人で歩くことに一つの意味があるから、それは仕方がない。
 夜に散歩をすると、ちょっとだけ悪いことをしているような戦慄(スリル)を感じることができる。少し子供っぽい考えではあるが、男の子には簡単に行える様々な冒険ができない、小さな不満を解消しようという危険な代償なのかもしれないと思う。
 それに、夜の散歩というのは、昼の散歩にはない発見が幾つもあるのだ。
 月や街灯の薄明かりに照らされる影だってそうだし、暗闇という視界の利かない世界を歩むこと、それ自体がそうでもある。
 昼と夜という二面性を感じるのが、夜の散歩の一番最初の発見なのだ。


 その夜も、わたしは雑木林の中を歩いていた。
 さくさくと感じる落ち葉混じりの地面と、春先特有の暖かな風が心地よく、自然と笑みが零れる。
 その一方で、わたしの脳裏の片隅に浮かぶ雑学もある。

 ――月の病、という言葉がある。
 望月――満ちた月は、それを見る者を狂わせる。
それが迷信だと言われようとも、一度それを深く信じてしまった者にとっては、迷信も心情と成り代わる。
 月の満ち欠けは、月自身が姿を変えているのではなく、太陽と地球の影に隠されているに過ぎない。
 その隠れた部分で、月は闇の裏側を侵食せんと思索しているのだ。
 月の病は、言わば人の見えない部分の発露だ。狂気という事実があれば、人はそれを信じざるを得ない。
 桜の木の下の死体は、そんな裏の意味合いを持っているように思えたものだ。
 …満月の夜の狂人が人知れず殺人を行い、死体を埋めに訪れる。桜は、彼に手助けをするかのように、死骸をその美しい花を咲かせるための養分に導く。やがてすっかり桜に取り込まれてしまった死体は、誰にも見つかることなく消滅する――。
 何の罪もない一本の桜が、俄かに牢獄の暗喩としての意味を持ち始める。それは美しいものの永きに存在し続けることに対する人の羨望(せんぼう)と、それとも嫉妬が生み出した幻影なのか、或いは月の幻影が呼び起こした悲愴(ひそう)な願いなのか。

 桜色の影、花弁が舞い、辺りを靄(もや)のように包み込んでいる。
 それは桃色の紗(しゃ)が空気に混じり込んだようで、普段のわたしならば感嘆の溜め息をつきながら道を歩んだのだろうが、何だろう…、ひやりとする何かを、わたしは背に感じた。
 そして、見慣れた桜の大樹の根元が見えたとき。
「…!」
 ひくりと喉が鳴った。無意識に、わたしは息を呑んだ。

 ――人の手首が覗いていた。

 地面から、新芽が生えたように、人間の手首が見えていたのだ。
「これ…、人の、手…?」
 恐る恐る、わたしはそれに近寄った。もしかしたら、打ち棄(す)てられたマネキンの手首ではないのかと思ったのだ。
 一体それは、…どちらが都合のいい解釈だろう。
 しかし、そうではなかった。作り物の陶器の質感と、生身の肉体の一部のそれとの違いくらい、触れるまでもなく職人でもない素人のわたしでも直ぐに知れた。
 人間の手首が、地面に埋められている。
 その事実に、しかしその現実味のなさに兢々(きょうきょう)としつつ、抑え切れない好奇心が宿り始めていた。
 犯罪の予感や、埋葬の余韻ではなかった。
 そう、現実味がない。
 人の手、というパーツだけが目の前に単独で存在するとき、それには人間味が明らかに損なわれている。
 猟奇的な想像の可能性は、その半端なところが一番怖い。
 そして、それだけではなかったのだ。続く可能性が的中する。
「――手だけじゃ、ない…!」
 わたしは、思考をそのまま口にしていた。そうでないと、それが事実であると信じるに足る自信がなかったからだ。
 …よく見れば、地面の中には、手首の先が、あった。
 すなわち、…腕が。
 じゃあ、まさか。
 腕の先も…?
 そう思い、震える指先で、手首の脇の土を少し掘ってみる。
 案の定…、細腕が、それには続いていた。
 想像力を働かせるまでもなく、その先の身体も地面の下にはあるに違いないという確信が訪れる。
 直ぐ傍らに、わずかに盛り上がっているように見える部分があった。
 わたしは胸の鼓動を抑えようとするかのように片手の掌で抑えながら、少しずつ手で土を掘った。
 間も無く、シーツに包まれたものが埋まっているのが分かった。
 少しずつ空気に触れるそれが顔を覗かせるまでは、直ぐだった。シーツの隅を開いた途端、
「きゃ…っ」
 分かっていたのに、わたしは悲鳴を抑え切れなかった。
 本当に、それは顔を覗かせた。
 現れたのは、人間の顔だった。
 わたしと同じくらいか少し年下の、少年の顔が現れた。
 自分の腕が凍ったように硬直する。
 一体何の偶然か、わたしは生身の肉体を見つけ出してしまったのだ。
 瞼を緩く瞑って、口を閉じて、眠るようにそこにいる少年の身体。
 彼の顔は、白く、冷ややかだったが、まるで生きているかのように綺麗に整っていた。
 埋められたばかりなのだろうか…、なんていうことを考え、その不謹慎さに呆れそうになりながらも、それはつまり、彼が殺されたばかりなのではないかということに直ぐ思い至る。
 しかし、自分が夢を見ているのではないかと、わたしは有り得ない錯覚を作ろうとしていた。
 視線の先で、更に信じられない光景が展開したからだ。
 少年の唇が微かに開き、そこから確かに空気が漏れ出したのが分かった。
「嘘…!」
 叫びそうになり、わたしは咄嗟(とっさ)に口を手で押さえた。
 生きている。少年には息がある。
 確かに自発呼吸をしている肉体は、死体ではなかった。殺されてなどいなかった。
 まるで、単純に土の中で睡眠中だったかのようなその様相に、わたしの方が戸惑ってしまう。
 再び、わけが分からなくなる。彼は、どうしてここに埋められていたのだ?
 彼が死んでいたわけではないことに安堵しつつも、少年を見つけたときと同じくらいの戦慄(せんりつ)がわたしの意識に侵入する。
 彼が一人でシーツに包まり、自分の身体に土を掛けて地面の下に埋まる、なんて芸当、単身でできるはずがない。
 少年が生きていようと死んでいようと、その事実に対する疑問は全く同じ規模でわたしを悩ませた。
 けれど、そのとき思ったのは、ただ『どうにかしなければ』ということだけだった。何故かは分からない。その行為がそれに当てはまるのか分からなかったが、今は彼を掘り出さなくてはと、ただそう思ったのだった。
 土の付いた自分の指を見つめる。素手では心許無(こころもとな)い。
「…どうしよう」
 見回した私の目に、園芸用に使われるような小さなシャベルが一本、無造作に木に立て掛けられているのが見えた。わたしは殆ど迷うことなしに、それを手に取った。
 ――少年を掘り起こす(・・・・・・・・)。その背徳心めいた行いに、背筋が震えた。
 …わたしは、何をしようとしているのだろう。
 まるで墓を掘り起こす盗賊のような行為をしている。これがそんな、罪悪めいた儀式とは違う、むしろ外見的には人を救おうとしているのだと分かっていても、この異常な現実と引き換えに、わたしは何かを得ようとしているのだ。
 何の得にもならないと知っているのに。
 ホラーにもオカルトにも興味はない。あるとすれば、目の前の『少年』という名の物体にだろう。
 少年は、横たわった姿勢で埋められていた。だから、深さは2、30センチといったところだっただろうか。それを掘り起こすのは楽な作業ではなかった。
 時折、風が吹いて枝が揺れる音を耳にする度、わたしはビクリとして辺りを見回すのだった。まるで、自分がこれから少年を地面に埋めようと準備している(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)かのように。
 少年を掘り起こすという行為が、果たして正しいものか、迷いがなかったわけでは決してない。
 しかし、わたしはいつしか一心にシャベルを動かしていた。
 何がわたしをそんなに駆り立てたのかは分からない。けれど、わたしはそうせずにはいられなかったのだ。
 口笛でも吹いて気分を盛り上げてみようかとも思ったが、沈黙よりもその方が余程怖いと思い、止めた。無言で腕を動かした。
 やがて、少年の全身が表に晒された。シーツに包まれてはいたが、その全長は丁度わたしが一杯に手を伸ばしたくらいの長さ。つまり、少年の身長はわたしと同じくらいだということを示している。
 シーツの端を引っ張るようにして、わたしは少年を土の中から地面に引き出した。思っていたよりも軽く、シーツは半分くらい解けて、ごろんと少年が地面に転がり出る。
 せいぜいが服に土埃(つちぼこり)が付いている程度で、今や空気に晒(さら)されている肌には、少しも傷ついたところのない、綺麗な身体だった。
 そう、ちゃんと服を着て、まるで、地中で冬眠をしていたかのようで。
 今頃になって、わたしは彼の邪魔をしてしまったのではないだろうか、なんていう罪悪感に襲われた。
 ――普通じゃない。
 絶対に普通じゃない。
 地面に埋まっていた少年も少年だが、それを見て『掘り起こさなければ』と考えたわたしも、また平均値から外れた度胸のある女だ。もしも第三者がこの場にいたら、絶対にそう思うだろう。
 吹っ切れた精神状態というものは、冷静さを通り越して無感情になるというけれど、まさにそれによく似た状況下にいたのだ、きっと。
 そっと首に触れる。とくん、とくん…、と脈があるのが分かり、何処かほっとした。
 続いて、胸の辺りに掌を添えてみる。こちらも心拍の存在を確認する。 …大丈夫、ちゃんと少年は生きている。
 彼は、一体誰なのだろう。今更だが、そんなことを思い、無念の鼓動が再び速まるのを感じた。
 少年が誰かに埋められていたことは明白で、しかしそれは何故、誰によって行われたのか、ということは全く分からない。
 けれど、取り合えず言えることは、…その何者かは、この少年を死に至らしめるために地中に埋めたのではない、ということだ。
 この程度の深さでは、流石に窒息死させることはできないだろうし、その気になれば自力で地上に逃げ出すことも可能だろう。シーツは簡単に身体を包んでいるだけだったから。
 わたしのしたことが少年を助けたのか、それとも彼の望まざるところだったのかどうかはさておき、このままにしておくわけにもいかない、そう思う。
 少年がどういう経緯で埋められていたにせよ、それを掘り起こした事実がわたしと共にある以上、この場の彼についての責任はわたしにあるというものだろう。
 せめて、どうして彼が地中にいたのかを本人から聞きだすくらいはしておきたいと思った。
 それは好奇心の延長でもあり、不思議と湧いた責務感のようなものでもあった。
 ぺちぺちと頬を軽く叩いてみる。ほっぺたは意外と柔らかい。
「…もしもし?」
 呼び掛けてもみた。
「んー…」
 子供がむずがるような声を漏らし、少年は微かに身動きをした。まるっきり、布団で眠っていた子が起きる様子と変わらない。ただ、ここが屋外であり、しかも少年の眠っていたのが地中であったということを除けば。
 そして、うっすらと瞼を開く。茶色い瞳をした子だった。
 ゆっくりと焦点が合っていき、わたしの視線を捉える。
「…誰?」
 誰何(すいか)する少年の声は、つい先程まで地中にいたとは思えない、澄んだ響きを帯びていた。
 そう…、変な言い方だけれど、音符のような声だと思った。そして同時に、その場の空気が急に平穏めいたものに変わるのを覚える。
「誰でもいいでしょう。それよりも、きみ」
 地面で敷かれたシーツの上で、眠りから目覚めた少年に…、大雑把(おおざっぱ)な経緯を省略して、わたしは問い返した。
 大雑把な口調で。
「ん」
「どうしてきみは…、その――」
 どう言ったものか分からなくて、言葉に詰まった。
「――こんなところにいるの?」
「こんなところ、って?」
 自分のいる場所が分かっていないのだろうか、少し考えるように視線を彷徨(さまよ)わせた後、
「もうちょっと…、眠らせて欲しいな」
 思い出したように、彼はそんなことを言って目を閉じてしまう。
 不安や心配を通り越して、呆(あき)れてしまった。
「駄目。ちょっと、起きてってば」
 なので、揺り動かす。少しだけ不機嫌そうな声を出す少年に、申し訳なさが湧かなかったわけでもないけど、今は質問が先。
「なぁに…?」
 面倒くさそうに開いた瞳が確かに眠そうで、そんな目で直視されたら再びの眠りを許してしまいそうで、しかしわたしは毅然(きぜん)とした態度を自らに課す。
 暖かくなってきた春先とはいえ、外で寝たら風邪を引くよ――、じゃなくって、わたしは詰問(きつもん)する。
「きみ、ここに埋められてたんだよ? なんともないの?」
 わたしは、そんな言い方をしていた。その場の収拾をその少年に求めるのは、もしかしてお門(かど)違いだったのかもしれないが、せめて彼には自分自身の説明をしてもらいたかった。
「埋められて…?」
 少年は不思議そうな顔をして、わたしの目を見た。わたしが冗談を言っているとでも思っているのだろうか。
「嘘だと思うなら、ほら、見てごらんよ。さっきまできみがいた穴」
 そう言って、わたしは先程彼を掘り起こした穴を指差した。
「ほんとだ」
「ほんとだ、じゃなくって! 何か他に言うことは?」
 少年は一度わたしを見て、それからもう一度穴を見て、わたしを見て、口を開く。
「…別に。なんともない」
 脱力した。
「ああ、もう…」
 わたしは気力を覆う面持ちで、一から彼に説明を施した。
「きみは、このシーツに包まって、ついさっきまで地面の中に埋まっていたの。それって普通じゃないでしょう? まるで誰かに隠されるみたいに、埋められていたとしか思えないじゃない。大体、好き好んで地中に埋まる趣味を持ってる人がいるわけじゃなし。だったら、きみは誰に埋められたんだろう、って不思議に思うの、当たり前でしょう?」
「うん…、?」
 何故か半分疑問系で、少年は頷いた。全く危機感がない。
 わたしの側だけで、勝手に妄想を繰り広げて話しているような錯覚に襲われそうになった。
「だから。わたしは、きみが誰かに埋められたのか心配で、知りたいし、どうしてここなのかも知りたいの」
 苛立ちを押し殺して、訊いた。
 すると、彼は少しだけ目を開いて、それから首を振った。
「…分からない」
「覚えてないの? どうしてここにいるのかも」
「うん」
「何も? 全部?」
「うん」
 …天を仰ぎたくなった。
 どうやら、わたしは、とんだ拾い物をしようとしているらしい。というより、それが落し物だと決め付けようとしているのは、他ならないわたしだったが…、まるで、記憶喪失の自動人形を掘り当てたような感覚。
 ――まるで、物語の中の出来事みたい。
 さて…、けれど、現実にはどうしたものか。
 こういうときに、大人に状況を報告して助けを求めたり、ということをしたがらないのが、わたしたちだ。というよりも、わたしくらいの年の少年であれば、間違いなく自分たちだけで物事を解決しようと画策するはずだと思う。
 そうでないと、…面白くないからだ。例え、それに平生とは遠い事情が潜められていたとしても。
 そして、わたしは、そんないかにも『少年っぽい』考え方が好きだ。
「誰かを待ってる、ってこと、ないのね?」
 わたしが言うと、少年は一つ頷いた。
 だから、一つ提案をした。
「わたしの家に、来る? わたしは帰らなきゃいけないけれど、きみをこのままここに放って行くわけにはいかないと思うし」
 それは彼を見放すようで、出来なかった。
「家?」
「そう。直ぐ近くだから」
 言って、彼に手を伸ばした。それを受けて、少年は縋るように手を取って立ち上がったが、まるで立つのが精一杯、というように、手を離すとその場にぺたんと座り込んでしまった。
「仕方ない、なあ…」
 どうやら身体に力が入らないらしい。
 ちょっと無理をするつもりで、少年に背を向けた。
「負ぶさっていいよ」
 肩に手を置かせて、わたしは彼を背負った。
 驚くほど少年は軽かった。わたしよりも軽いかもしれない。
 何故か可笑しくなって、わたしはクスリと笑みを漏らした。
 わたしは一体、何をしているのだろう。何度目か知れない疑問を浮かべつつ、気分は悪くない。


 ――そうして、わたしは月下の桜の舞う夜の隅で、野良猫のような模造死体のような少年を家に連れ帰ったのだった。
 まったく、数奇な夜だと思う。



     □     □     □

 道々の遣り取りからリビングの会話に至るまで、結局、わたしが彼から聞き出せたことは、せいぜいが彼の名前が『咲良』だということくらいだった。他のことは何を尋ねても『分からない』の一点張りで。
 彼は何らかの犯罪事実に巻き込まれていて、外部からの衝撃を加えられて地面に埋められたショックで、記憶の混乱が生じているのでは、なんていう、もっともらしい経緯を推察してみたりもした。が、それでは説明がつかない要素もある。
 例えば、どうして彼が猫缶を好きなのか、なんていう殆ど笑い話なそれも、根拠を探るには至らなかった。
 好きなものは好きだから仕様がない。好きなものが好きな理由をこじつける方が、余程無理があるというものだ。
 それは、わたしには口出しの仕様がない、ということでもある。状況説明をしろと言われれば、それらしいことを語ることも出来ただろうが、敢えてそれをしたくない。言葉にしてしまうと、逆に嘘っぽくなってしまうからだ。
 だから、それ以上を知ろうとしなかった。
 多分、知る必要もない、と思った。それを知ったところで、何だというのだろう。
 むしろ、知るべきではないと思ったのだ。…その感情が綺麗事だとしても。
 缶詰を三つ、空にしたところで、ごちそうさま、と箸を置き、
「また、寝てもいい?」
 咲良はそう訊いた。お腹が一杯になったら、また眠くなったということだろうか。そんな様子は本当に猫みたいだ。
 彼の真向かいでお茶を飲んでいたわたしは頷いて、リビングのソファに彼を案内した。
 わたしは少年を、取り合えず一晩泊めることにした。両親が仕事で外泊が多いと、こういう意外なときに融通(ゆうづう)が利く。
 ちょっとだけ信頼を裏切るような態勢だけれど、日常から乖離(かいり)していることを言い訳に、勝手に許してもらおう。
 朝になれば、小さくても何か進展があるかもしれない、なんて、淡い期待を胸に、わたしは直ぐに眠ってしまった少年の身体に毛布を掛けて、自室へ向かった。

     □     □     □

 眠るつもりはなかったが、着替えもせずにベッドに潜り込み、考え事を続けていたわたしは、それほどもせずに結局、眠ってしまったようだった。
 夢うつつの状態で、薄ぼんやりとした意識の中、何かが切れるような、千切れるような音が微かに聞こえ、わたしは目を覚ました。
 …いや、それはもしかしたら、まだ夢の中だったのかもしれない。
 咲良が直ぐ傍(かたわ)らに立っていた。
 手の指を口元に運んでいる。微かな音は、彼の口から発せられていた。
「咲良?」 わたしが呼び掛けると、
「うん」
 頷いて、彼はわたしの名を呼んだ。
「ミオ、手を出して」
「なに?」
 言われるままに掌を差し出すと、咲良は仰向けたその上に、ぽろぽろと小さな粒を落とした。
「ミオにあげる」
 見ると、それは三日月の形をした粒で、
「これは?」
「種だよ」
 咲良は言う。
「種…、って、これ、きみの――」
 爪。
 それはどう見ても、人の指の爪なのだった。
 咲良が自分の歯で噛み切った爪。それを彼は種だと言う。
「からかってるの? ――そんなこと、ないか」
 疑問を口にしかけて、わたしは自分でそれを打ち消した。咲良はそんな分かりやすい嘘をつくような…、否、軽々しく嘘を口にするような少年ではないと、これまでの少ない経験で学習したつもりだ。
 ――ならば、彼の言う通りなのだ。
「何の種? 何かの花かな」
 尋ねると、咲良は掌を自身の胸に押し当てた。
「僕たちの、花」
「きみたちの?」
 どういうことだろう、と思いつつ、しかし咲良が言うのならば、その植物は一つしかないと分かってもいる。
 彼らの花、というものが、何を示すのかということについても、また。
「ミオも良く知ってる、あの木の花だよ」
「思い出したの?」
 自分のこと。
 訊くと、少年は首肯した。
「サクラ」
「きみの名前?」
 そうじゃない、というように首を振って、
「桜、だよ」
 チェリー・ブロッサム。
 少年と同じ名前の木。闇の中で紫色に輝く花弁、そして――。
 サクラの木の下で眠っていた少年。

 ――校庭にある桜で一番大きな木の下には、死体が埋まっている。
 春になって他のどの桜よりも美しい花を満開に咲かせるのは、木の根が死体から養分を吸っているからなのだ――。

 ああ、そうか、とわたしは思った。
 その逆だったのだ。
 …わたしは、彼を起こすべきではなかったのかもしれない。
「ごめんね」
 わたしは――、謝罪していた。
「ごめんね、咲良」
「どうして謝るの、ミオ?」
 眉をちょっと下げて、咲良はわたしの瞳を覗き込んだ。
「ミオは、何も悪いことなんてしてないのに」
「うん…、そうだね、変だね」
 急に、悲しくなったのだ。そう思ったら、自然と謝罪の言葉が零れていた。
 目尻を軽くこすって、わたしは少し笑った。
「ミオ」
「うん…、なに?」
「行くね」
 どうして、と訊きかけて、わたしにもそれが分かった。
「他にも、僕と同じ子がいるから」
「ああ…、うん、そうだね」
 彼の言う通りだった。
 わたしが咲良を見つけたように、眠る少年は彼だけではないのに違いない。
 彼は、自分と同じ少年たちに会いに行こうとしているのだ。
 わたしには、それを止める権限などない。
「うん、…じゃあね、咲良」
 ならば、微笑んで見送ろう。
「またね、ミオ」
 無慈悲なサヨナラではなく、再会を願う言葉で別れを告げた少年は、淡い微笑を浮かべた視線をわたしの脳裏に残したまま、姿を消した。

 ――何か、不思議な体験をしたときに、その正体を探ろうとして、様々な言葉で説明を施そうとするのが、物語だ。
 わたしの経験したことも、それを口にしようとすると、それが『物語』となる。
 けれど、わたしはそれを全て話そうとは思わない。
咲良の正体や、桜の情景、それらの疑問を余すところなく紐解く必要は、何処にあるのだろう。
 『物語』には、それらの言い訳が多過ぎる。
 …だってこれは、なんと言うこともない、一夜の出来事だから。

     □     □     □

「ん…」
 夢から覚めた瞬間は、いつだって少しだけ切ない。
 そんな感情をベッドに置き去りにして、わたしはリビングに戻った。
「咲良…?」
 案の定、少年の姿は既に何処にもなかった。
 彼のために掛けた毛布が、ソファの背にきちんと畳まれて掛けられていた。それを見て、私は少しだけ可笑しくなってしまう。
 自分がいた痕跡を残す必要なんて何処にもないのに、テーブルの上ではパキラの鉢に一つ、小さな彩が加えられていた。
 蕾が一つ、開いていたのだ。
 彼の代わりのように、ふわりと残る桃色の香り。
 そのとき、ちくりとする手の中の感触。
 握ったままでいた手をそっと開くと、そこには小さな粒が確かに残っていた。
 それは、三日月のような形をした種だった。

 ――わたしは、思っていた。
 今夜、少年のいた、あの木の隣に、この種を埋めに行こうと。



“LURING LUNATIC‘S PURPLE” Closed――


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