幻悠閣事件・解決編



 ――探偵は物凄く嫌そうな顔をして、言った。
「これから、あの事件の話が出るたびに、こうして説明を求められるのかと思うと正直、うんざりなんだよ。…今となってみれば、適当に誰かを名指ししておけばよかったと後悔してる」
「それはちょっと、酷過ぎやしませんか、幾らなんでも」
「お言葉だがね、きみだって、いち当事者として分かっているだろう? この事件、そのものが一筋縄ではいかないことだらけだったことを。私は、本当ならばこの事件を解決したくはなかったんだ」
「どういう――意味ですか」
 怪訝そうな顔をする少年に、探偵は答える。
「あの孤城で起きた惨劇が、今でも奇跡によって成立したとしか、思えないからだ」
 首を傾げた少年の顔は、そのままだ。
「でも、先生は、不可解な事件の全てを明らかにしてみせた」
 探偵は、ひとつ頷く。
「表面上はね。あくまでも、そう納得出来る、というだけのことだ」
「けれども、それは真実なのでしょう?」
「そうさ。厳然たる、真実だ。この私が言うのもおかしいが、それは絶対だ。私の導いた解決以外のものは、有り得ない」
 緊張した面持ちの少年は、ほっと息をつく。
「なんだ…、もしかしたら先生は、真実を取り逃がしたのかと、いらぬ心配をするところでした」
「それは、愚問だよ」
 力のない、それでもはっきりとした微笑みを浮かべて探偵は、
「ただひとつ、ここで私は、きみに、この事件の犯人の名だけを、軽々しく口にすることは出来ない、というだけのことさ。 今、長広舌を並べるつもりにはならないが、追々、きみにも私の思考をゆっくりと辿ってもらうことにするよ」
「はい。楽しみにお待ちしています」


 探偵は病室を後にし、廊下をゆっくりと歩み出す。
 彼の助手は、不満そうな、そして同時に期待に胸を躍らせる表情を貼り付けたまま、扉が閉まる寸前、再び目を閉じるのが見えた。
 二発の銃弾をその身体に受けて、奇跡的に生還した少年。
 惨劇の中の、数少ない生き残り。
 つまり彼には、生きる資格があるということ。
「――やれやれ」
 誰もいない、病棟。その片隅の休息室で、探偵はこの事件に関わって、初めての心からの溜め息をついた。椅子に座り、脱力する。
 たったひとりの人間を凶弾から救うことが出来ない、弱さ。 十九人もの犠牲者を出してなお、本当の意味では終わっていない、事件の残滓。それは目の前に、はっきりと分かる形で、残されているのだ。
 そして――、
「面会は終わったのかい」
 探偵の思考は、そこで打ち切られる。
 そこには、一人の医師。
 幻悠閣事件の、生き残りのひとりが、ここにも。
「ええ、終わりました」
 口許だけに笑みを浮かべ、探偵は答える。
「本当にかい」
 探偵の答えに、心外そうな顔つきを見せ、医師は言った。
「それはきみが演出した、あの長々しい茶番のことかい」
「茶番?」
「ああ、茶番だ。あれほどに関係者を舐めた口演を、私は知らない」
 医師は侮蔑とも取れる発言を、ふいにするのだった。
 素直に心外な表情を作り、探偵は答える。
「私は真剣でしたよ。この人生で、最も真剣に演じた劇だったと言っていい」
「真剣に演じた?」
 ふん、と医師は鼻から息を漏らす。
「やはり、自分でも思っているんじゃないか。あれが茶番であったと」
「違いますね。貴方にはあれが茶番に見えたかもしれないが、 私にとっては一世一代の大舞台であった、ということですよ」
 探偵の目つきが、それまでのものから一変する。
「そうだね…、きみには、あの場で唯一、守るべきものがあった。だからこそ、あの場の全員が完全に納得するような解答を、是が否にでも披露しなければならなかったのだろうからね」
 それは、探偵が意図的に秘していたこと。
「貴方は…」
 彼は、僅かに目を見開く。
「気づいていたのですか、あのことに」
 医師は頷く。
「きみほどに早くはなかったがね」
「けれども、ほんの些細なことで、きみの気づいた論理の牙城は崩壊する」
「お聞かせ願えますか、その綻びを」
 探偵役は入れ替わる。


 蛇足の解決編が提示される。
「私が、ある人物が真犯人であると指摘するだけの根拠は、たったひとつだ。光のない、完全な暗闇の中での三重殺。これを単独犯とするには、非常に苦しい。煌々と光の点った披露宴会場でのことだ。ブレーカーを落とされて、誰もが咄嗟には思うような行動は取れなかっただろう。暗闇の中での混乱に乗じて犯行を行ったであろう事から考えて、被害者を己の下に誘導する、或いは、何らかの機械的なトリックを用いる、そんな遣り方は不可能であると検証された。そこできみは、連鎖的な自殺説を採ったのだったね。
 しかし私は敢えて、他殺、それも単独犯による直接の犯行を考える。となると、三人を殺害するためには、やはり自らが動かねばならない。そして、暗闇での自由を得るためには、あらかじめ瞳孔を開いておく他ない。これには単純に、数十秒、目を瞑ったままでいる、という方法から、薬に頼るものまで幾つかあるが…、点眼薬で瞳孔を開く方法となると、それでは目に受ける光の量が多過ぎて、犯行前後の行動に制約が大き過ぎるだろう。何より、あの宴会の中で両目、ないし片目を閉じている、という状態は、誰が見ても不自然で、言い訳の仕様がない。
 ただし…、あの会場の中で、ひとりだけ、これらの手段を用いてなお、犯行に支障が出ない人物がいる」
 ここで医師は、探偵の反応を伺うように一時、言葉を区切る。
 探偵は何も答えない。
 医師は、言葉を続ける。
「その人物は、この孤城に足を踏み入れたときから、既に片目を隠していた。眼帯をして、ね。それは彼のアイデンティティを示すスタンスなのか、ただのファッションなのか、それとも、以前から怪我か病気をしていて、それが今回の訪問の日程にたまたま重なっていたのか。それは私には判断出来ないが、しかし思うね。彼は少なくとも、この孤城での惨劇を繰り広げるための計画の一端として、その眼帯を事件が始まるずっと前から、事件が終わりを遂げるまで、出来る限り不自然にならぬ形でつけ続けることと決めていたのだろうと」
 医師の最終弁論は終わる。
「さあ、もう、こんなまだるっこしい説明はする必要がないだろう? もうきみには、私が指名したい人物の名が分かっているはずだ」
 探偵の表情が変わらないことを見て取り、彼は、そのまま、
「きみの大切な相棒、助手くんだよ」
 断罪の言葉を告げた。


「ああ…、お見事です」
 長い、長い沈黙の後、口を開いた探偵の口から出た言葉。
「やはり、そうだったのか」
 溜め息をつき、医師は首を振った。
「――その他の犯行は、被害者の協力、或いは、犯人が幇助した自殺、という形で全て説明が付く。きみが築いた、大伽藍だ。けれども…、あの『三人の自殺』だけは、私には納得出来なかったんだよ。なにせ――」
「被害者のひとりは、貴方の助手でしたものね」
「そう。彼には、ここで死ぬ理由がなかったんだ。
 きみが推測したように、確かに、この幻悠閣という舞台は、人が死ぬには実に華やかに生える劇場だ。それゆえ、もしも彼が、私には悟られずに死への欲望を手にしていたのだとしたら、それも有り得ない話ではない、そう無理矢理納得したかった。
 しかし、私には無理だった。それこそ、無理矢理にでも、彼が『殺された』ロジックを組み立てたかったんだよ。そして」
 ようやく、真正面から医師は探偵の目を見る。
「私は見つけた。唯一の、犯人の存在を」
 まだ信じられない、といった風情の医師を見て、探偵は目を細める。
「探偵の助手。全くの盲点だったよ。元より、彼は幻悠閣の関係者だが、数々の事件を解決してきた私立探偵のきみと行動を共にしているとあっては、警察関係者に次いで、疑念を抱かれにくい位置にあった」
 何処か遠い目付きで、医師は続ける。
「だからきみは、彼をかばうためにこれほどの大掛かりな言い訳を、…作り上げてみせたというわけなんだね」
「言い訳?」
 一度は茶番だと言い募った探偵の『解決編』を、医師はそう称する。
 だが…、
「違いますよ、先生」
「違う?」
 探偵は声音を変えずに言い返す。
「彼は犯人には成り得ない」
「なんだと…、しかし、きみは認めたじゃないか」
「いいえ。確かに私は、彼をかばうこととなった。
 他でもない私の助手ですからね、殺人犯人に仕立て上げたくはない」
「しかし、これではきみも、殺人犯の逃亡を教唆するということに――」
「だから違うのです、先生。言ったでしょう、彼は犯人には成り得ないのですよ」
「どういうことだね」
 小さく息をつき、探偵は、答える。
「貴方は彼の眼帯を、格好だけのものだと捉えていたようですが、実際には違います。彼には、あの眼帯をつけなければならない理由がある」
「理由…、それは先程、私が言ったことでは――」
「違うのですよ。彼の眼帯は、そのまま、彼が犯人ではないという根拠になっている」
「な…、それは…」
「それは、彼の眼帯の下の素顔を御覧になれば分かること。
 ひと目で、その意味が分かりますよ。彼には犯行が不可能であったと」
 数秒の沈黙。そして…、医師は悟りの表情を浮かべた。
「――まさか。まさか、彼は」
 探偵は、ひとつ、深く、頷いた。
「そう。彼には、ないのです。実行犯に必須の、暗闇で生かすべき瞳が」
 隻眼の助手。
 暗闇どころか、光のある世界も、捉えることが出来ない瞳。
 それは最初から変わらない事実。
「そんな」
 唯一の解答を手に入れたはずの医師に、再びの混沌が訪れる。
「だから、私は言ったでしょう、あのときに」
 探偵は、その場の空気を氷点下に落とす口調で、告げた。
「謎など、ありません。あるのはひとつだけの事実だ、と」
「待ってくれ。それでは――」
 何も終わらないではないか、そう医師は言った。が、
「終わったのですよ、先生」
 探偵は、表情を変えずに、再び告げる。
「私は、救われないんだ、今のままでは」
 この混沌から抜け出さねば、平穏は絶対に訪れない。
 しかし、探偵の態度は、変わらない。
「何もかも、終わったのです」
「そんな――」
 繰り返す医師の言葉に、最早、全くの力は無い。
「気は、お済みになりましたか、先生」
「――」
 仕舞いには、言葉にならない呟きを唇に乗せ、医師は探偵の視線から己の姿を一刻も早く隠そうとするかのように、身を翻すと、探偵の前からゆっくりと姿を消した。
 探偵よりも失ったものが大きい彼に、大きな混沌から抜け出す力を、果たして新たに抱くだけの余力を持って帰ることが出来るだろうか、そう探偵は危惧をする。
 だが、それもほんの一瞬だけのこと。
 ようやく、元通りの静寂が休息室に訪れる。
 そして、もう、そこに現れようとする者はいない。


 事件は、再びの終わりを遂げた。


 事件の終わり――、
 そうか?
 そうだろうか?
 探偵は、自問する。
 これで、なにもかも、終わったのだろうか。
 そう願いたい…、そうだ、願いたい。結末を。
 そもそも、彼が事件を解決に導いた動機は、ただひとつ。
 彼の助手である少年のため、『彼のため』に、事件を解決させた。
 己の助手を死に追い込まれた、あの医師のためでもない。
 己の助手を危うく死に追い込まれそうになった、自分のためでもない。
 この事件を解決することが、あの少年を生かす理由になる、ただそれだけのために、彼は、事件を終わらせたのだ。
 残された、ただひとつの事実。
 それは、この事件が終わった現在もなお、この孤城に残るだろう。
 事件の生き証人である彼の助手も、その事実は知り得ない。
 一度は事実に近づいたあの医師も、どうやらまた、遠ざかりつつある。
 ただひとつの事実に気付いたものだけが、この事件の真の姿を、
 その脳裏に描くことが出来るのだ。
「そうでしょう? 『先生』」
 探偵は呟くと、リノリウムの冷たい廊下を再び、歩き出した。



 It continues to "There are two copycats".



(初出:2006年、12月。傷口十九氏に寄稿)


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