幻悠閣事件



 人家のない山奥に建造された財閥の隠遁地、幻悠閣。
 探偵が訪れたとき、事件は勃発した。


 衆人環視の中で起きた、見えない凶器による撲殺。
 尖塔の頂上――地上二十メートルの高さの密室で溺死した館の主。
 たった一撃分の猶予で発生した十九箇所の傷跡による刺殺。
 光のない完全な暗闇の中での三重殺。
 仕掛けがないはずの機構が起こした自動殺人。
 互いが見えない東塔と西塔からの、全く二人同時の墜落死。
 二重の施錠が為された座敷牢での殺人、そして現場からの死体消失。
 それと時を同じくして現れた、完璧な密室の中の解体死体。
 蒸留水を飲んだために起こったとしか思えない毒殺。
 次々と起こる殺人を、現場の誰もが止めることが出来ない。
 被害者はいつしか十九人にも及び、…再び突然、収束を迎える。
 視界に真犯人の影を捉えた瞬間、前後同時、二発の凶弾に倒れる少年。
 奇跡的に命を救われた彼の前で、探偵は静かに告げた。
「他でもないきみのために、事件を解決させようじゃないか」
 探偵が、事件の真相を告げるときが来たのだ。


「謎など、ありませんよ。あるのは一つだけの事実だ」
 それが、彼の最初の言葉だった。
 延々と、順を追ってされた説明は、なんと九時間にも及んだ。それだけ、事件の内容は複雑に絡まりあっているものだった。
 だが、それが鉄鋼で出来た巨大なものであったとしても、理論で武装した犯人を追い詰めるためには、糸を解きほぐすのと同じように論理による解決が可能であることを、探偵は知っている。
 大テーブル一杯に開かれた紙の上に、人物相関、館の見取り図、室内にある全ての事象の配置、人々の行動を浮き彫りにさせる表図、凶器となった刃物や銃弾、毒薬の科学的性質、館の建造された歴史的背景、量子力学や相対性理論に至るまで、探偵は淡々とした口調で語りながらペンを忙しく走らせて、真相に至る過程を一つずつ、丹念に書き加えていった。
 最初は各々が独立した解説に過ぎないことであっても、やがては小さな結びつきが見えてくる。一つ、また一つと、事件と事件の間にある、それまでは全く見えていなかった繋がりが浮き彫りになる。
 実現不可能に思えた事件が、実は単純にして明快な原理により実行可能であることを探偵が告げる度に、彼の周りに集った人々からは溜め息が漏れるのだった。
 最早、場は探偵の独壇場となっていた。
 真っ白だった紙が、大小合わせて十九の事件、十九人の被害者の行動の全てを記されるようになると、最後にはたった一人の真犯人の姿が浮かび上がるようになった。
 その名前を静かに告げ、探偵はそっと顔を伏せた。
「――私が辿り着いた、この事件の真相は、以上です」
 そう彼が最後に告げると、広間に集った人々からは感嘆とも諦観とも呼べない、何ともいえないざわめきのみが生まれた。
 それを彼は安堵の溜め息と共に見遣る。無理もない。あれほどに凄惨に、かつ秀逸に構成されていたように思えた流れで発生した数々の事件は、確かにあまりにも複雑な過程を辿って行われたものだった。
 探偵も、自覚していた。この事件は、間違いなく己の人生の中でも最大級の事件であっただろうと。これほどに知己に富んだ犯人の所業は、不謹慎にも芸術的ですらあったように思う。それだけに、その芸術を言葉による解釈を与えることで解決しようなどと思うことは、或いはすべきことではなかったのかもしれない…、彼は、そう思うと居たたまれない。
「私はこれで、失礼します」
 自分の役目は終わったと、探偵は館を後にする。
 そこに事件があるからこそ、己の存在意義は発生する。
 全てに終わりを告げた今、最早自分がこの館に留まる意味はない。


「それで、犯人は一体誰だったんですか?」
 見舞いに訪れた探偵に、ベッドの上の少年は興味津々といった様子で尋ねる。
「犯人?」
 探偵は少年を横目で一瞥し、
「名前を言っても、きみは信じないと思うよ、絶対」
「そう言わないでくださいよ。いち当事者として、気になります。ねえ、誰だったんです?」
「そうは言うけれどねえ…、真犯人を指摘するためには、私はまた、あの長ったらしい講釈を述べなきゃいけないことになる」
「じゃあ、説明してくださいよ。聞きますから」
「簡単に言わないでくれ。たった一人の名前を言うために、どう頑張っても最低九時間の説明だよ? 九時間」
 探偵は物凄く嫌そうな顔をして、言った。
「これから、あの事件の話が出るたびに、こうして説明を求められるのかと思うと正直、うんざりなんだよ。…今となってみれば、適当に誰かを名指ししておけばよかったと後悔してる」



(初出:2003年、12月。傷口十九氏に寄稿)


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