2周年記念SS



 ――ああ、そんなことは最初から分かりきっていたことだったはずなのに。
 いつしか僕は、そんな諦めにも似た感慨を感じるようになっている。
 嘘をつかれることには慣れきっている僕が、どうして彼の嘘を許せなかったのか、今頃になって疑問に思ってみてももう遅いのだと、それを自覚すること自体が既に非生産的だ。
 冤罪。彼に課せられた罪だ。他人に対し嘘をつくという行為は、その嘘が本意であったとしても、言葉のままの偽りであったとしても、その相手が受ける感情に変わりはない。本来、嘘というものは何かを偽ってのものであると、即座に見破られる危うさを孕んではいるものの、それが即座に見破られない限りは嘘か真かということ、そのものが秘匿される危うさが外側にある。つまり、犯罪者が裁判の上で有罪であるとの判決を下されない限りは当人は未だ無罪であるとの可能性を抱かされるのに似ている。有罪が必至であるか、それとも冤罪であるか、とは紙一重であるのだ。
 同じように、彼がいつも僕に対し嘘をつくことは、そのまま彼が己の罪をひた隠しにするかのごとく背中に回した手の動きを僕に読み取らせる。己の罪が有罪であることを既に証言の前に示している。
「簡単にはいかないってことか」
 気持ちとは裏腹の声。彼は、己の罪を認めている。それが冤罪であると彼自身が誰よりも承知しているのに、しかし彼はその罪を認めようとしている。どうして、何が彼をそうさせているのか、彼以外には今のところ分からない。それが当事者のきっちり半分を悩ませている原因だ。
 苦悩が彼の内に存在しないとは考えたくない。でなければ、これまで、彼の一番そばで彼の言動を目に耳にしてきたことが無駄になってしまう。僕がこうして今現在苦悩していること、その全てが全く無為なことでしか有り得なくなってしまう。そうしたら、僕は…、この僕は一体、何のために、誰のために存在しているのだというのだ。
 結局のところ、僕は彼を救いたい。彼の外側だけでなく、彼の内側もだ。それはいつもの僕の役目で、僕の役回りなのだ。そうすることがこれまで当たり前で、これからもそうだとばかり思い込んでいるのが、正直な話で…、けれど、事態はそう軽いばかりのものではないのだ。
 今度ばかりは、問題の発端が違う。彼は世界を敵に回したに等しいのだ。世界中の誰もが敵になったのだとしても、僕は絶対に彼の味方であり続けるだろう…、これまでの僕は、そう信じて疑わなかった。これまでの僕は。
「流石に、そうもいかないか」
 仕方がないように僕は呟いてみる。
 直ぐ様、自分自身への罵倒が下される。
「世界がすべからく彼のために用意されていると思ったら大間違いだ。その主体が誰であれ、世界というものは全ての個人の周囲に、個人の数と同じだけ存在するものだ。全く等しい人格の個人が存在しない限りは、完全に一体である世界など存在しない。逆に言えば、世界が一つでない限りは、お前が彼から受けた嘘を許していいなどという道理は通用しないのだ」
 そう…、それは何度も、何度も何度も繰り返し繰り返し自問自答したはずのことだ。けれども、僕は迷っている。あれほど彼のことを信じていたはずの僕が、今、迷っているのだ。それそのものが…、僕の内面でうごめくこの思いが、僕は彼のことを何処まで信じていいのか、という、根底を揺るがしかねない違和感を僕の奥深い部分に導こうとしている。
 単なる懸案ではないという事実は、僕の内側に眠る、ある真実の予感が裏打ちさせている。――僕は、本当に、彼のことを信じているのか。それは僕自身がそう信じたいと考えているだけのことであって、本質的にはそれに反するのが僕という存在なのではないか――。
 違う。そう一言で切って捨てることが出来たなら、きっと僕はその瞬間に楽になれるのあろうと確信する。そして、そう思うことがそのまま、僕が自分自身に対して思う疑念の塊の正体を探ろうとする懐疑、そのものなのではないかと危惧するのだ。
 詰まらない考えだと、普段の僕であれば一生に伏すはずの事実を既に僕は認めている。それは最早、彼が罪を犯した、否、彼は冤罪を被ったのだと上っ面の論理を否定する戯言ではない。彼が嘘をついたのは僕に向かってのものではなく、すなわち嘘をついた、という現実は、僕が彼に向けた疑念が呼び起こした「嘘」だったのだ。それが真実だったのだ。
「程度の低いことでウダウダ悩んでんじゃねェよ。そんな女々しい奴だとは思わなかったぜ。一年前も一秒前も、過ぎた時間は過去の縛りだろ。アンタにとっての現実は、その程度の意味なのか」
 とうに忘れたと思っていた彼の言葉が蘇ってきた。そうするともう、止まらない。
「泣き言なんて聞きたくないね。これはアンタが決めたことだ――」
 二度目はない、そう言い残して、彼は僕の前から姿を消した。そして次に彼を見たのは、四重の鉄の檻を間に挟んだ向こう側の部屋に置かれたモニタを介してであり、そのためには十四枚の申請書を国に対して提出しなければならなかったのだ。これが一体どのような意味を持つのか、今更説明する必要はないだろう。
 微温(ぬるま)湯に脳が漬け込まれたような、そんな時間が僕の中には長いこと存在していた。分からないのだ、彼の考えていることが。彼を誰より信頼しているはずの僕が、疑念を払拭し得ない理由を手に入れるために、僕はモニタ越しに彼に問い掛ける。彼が抱き続けている「冤罪」。本来ならば、彼が受ける必要など全くない罪を、何故彼は固執せんばかりに保有し続けているのか。
「ねえ、どうしてきみは僕の前から姿を消さなければならなかったんだい。僕でも良かったはずだ…、いや、その言い方は正しくないか。世界から見放されたのは、きみではなくて僕であったはずなんだ。それは僕もきみも等しく認識していたはずだし、理解していたはずだ。なのに――」
 望みは一つ。彼が、全てから解放されること。そのためには、僕の抱くしがらみを彼が取り除いてくれなければならない。他力本願な願いだと自覚している。けれども、僕には他に方法が見つけられなかった。幾ら考えても見つけられない答えを求め、他人の力を借りようとする行為。それはとても卑怯なことであると習ったのは、いつのことだったか…、もう、思い出せない。
「はっ…、もう忘れちまったのか、アンタは。二度目はない、そう言ったはずだ」
 卑劣なまでに彼は僕の弱さを主張する。しかしその言葉には嘘臭さなど微塵も感じ取れないのは、僕の本質が逆に彼にとって卑怯に出来ているからなのだろうか。彼がこれまで僕に、一度の嘘もついたことがなかったというのは。だが。
 普通に考えてみれば、そんなことは有り得ない。絶対に有り得ない、と言い切ってしまっても差し支えないはずだ。けれども、僕は最初から真実の片鱗を手にしていたのだ、きっと。そうでないと、僕がここまで彼を信じることが出来るということの裏側の意味が浮上してきてしまうのだ。
 返答することは出来なかった。一切の反論に意味がないことはもう承知の上での会見だったし、僕に、本当に、本質的に、彼が救えるのだとは、この僕自身も信じてなどいなかったのだ。彼のその顔を見て、改めて僕はそれを悟るに至り、そして同時に驚愕も禁じ得なかった。
 本当のことを、彼から聞きたかったのだ、僕は。それは彼自身のことであり、僕自身のことである。
「まともな理論が通用すると思うなよ。そんなものは、ここでは綺麗事でしかない。あまりに詰まらなくて笑う気にもならない、戯言以下の虚言だぜ」
「惨めに見えるのは分かってる。僕はきみを出会ったときから…、最初から無力なままだ。でも…、何も出来ないとも思わない。何かは出来るはずなんだ…、何か。だって――」
「無理だ。アンタにはとうの昔に失望している。単独でいるアンタなんかに、期待なんかしていないさ。最初からアンタは、アンタ自身のための救いを求めに、ここに戻ってくるしかなかったんだ。罪を汚すことなんて出来ないってことをを思い知るために」
 面倒なことにはもうこれ以上関与したくない、といった風に、彼は顔を背け、僕も項垂れてしまう。結局、僕は彼に何もしてやることなど出来ないのだ。彼に対面したその一瞬で、僕は己の敗北を知る。
「もう、こんな茶番は終わりだ。アンタは帰るんだ」
 やがて、沈黙がその場を支配し始める。このままでは僕は存在意義を失ってしまう。彼はまた、何もかもに縛られる生き方に舞い戻ってしまうだろう。このままでは何のために僕が足を踏み出したのか、全ての意義も意味もなくなってしまう。…駄目だ。それだけは駄目だ。そう思うのに、もう言葉が出てこない。
 ゆるゆると、僕はモニタに向かって首を振った。そんなこと…、出来ない。出来るはずがない。でなければ僕は、…僕は一体、誰のために。誰のために、こんな、こんな無駄なことを…、無駄なことを? 僕はモニタを見遣る。冷たい画面の中で、彼は笑みを浮かべていた。それはいつも見る鉄格子越しの彼の顔ではなくて、もっと見慣れた、…朝、顔を洗った直後に見る自分の顔のような。僕と彼の視線が合う。僕はもう、帰るしかないのか。彼は僕に今更何処へ帰れというのか。僕はどうしてここに戻ってきたのか。彼は言う。笑みを浮かべて。
「よく、帰ってきた。――もう離さない」

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 楽をして企画事を済ませようという考えがなかったわけではない。けれど、ふと思いついてしまったことを実行してみたところ、意外と面白いんじゃないかと勘違いした節もある。実際にはあまりに面倒な懸案であったので、自分でも情けなくなりつつ、それでも引っ込みが付かなくなってしまったのが正直な話。
 量があまり多くならないように書くのが理想なのだけれど、出来れば少なからず形になっていて、多少小難しいことになってしまっても、その中に少しでも面白いことが書ければ良いな、と思って書いてみることにする。
 ルールは一つだけ…、各段落の頭を並べると五十音になっている。それだけだ。目的であると言い換えてもいい。つまり、内容に意味などないし、当然価値など必要もないのだ。ある行動について示唆するとき、目的と意味が摩り替わる、などと表現されることがあるが、これなどはまさにそれに類するものだろう。
 連綿と書き綴ってみたら、黒猫屋に横からポソッと呟かれた。
「論文…?」
 割に合わない作業だと自分でも思っていたので、流石に堪えた。そう…、これは、はっきり言って、作業である。他の何ものでもない。ただ文章を書き続けるという作業なのである。
 ん…、失敗だったかな。

(続く?)


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