パチンコ



 まあ、些細なことだったんだ。
 ちょっとした喧嘩。喧嘩だってば。
 痴話喧嘩だとか言ってくれて構わないけど。それ以上でも以下でもないし。
 喧嘩、するでしょう?
 仲が良いなら、尚更、喧嘩ってのはするものなんだ。喧嘩するほど仲が良い、なんて言うけれど、別に、喧嘩をするから仲が良いんだ、ってわけでもないだろうしね。ほら、喧嘩をするってことは、仲違いするんじゃなくて、意志のぶつけ合い、って言うのかな。少なくとも相手とのコミュニケーション、意志の相対がなければ生じえないことでしょう?
 相手と話すらしない二人なら、そりゃあ喧嘩なんてするはずがないさ。でも、それはただ、どうやって相手とコミュニケイトすればいいのか分からなくて、接し合うことが出来ていないだけのこと。
 それでも、喧嘩なんかしない、っていう二人もいる。稀にね。まあ、そういうのもあるんだろうとは思う。抜群に相性の良い組み合わせも出来て当然だろうってさ。でも…、安っぽいことは言いたくないけれど、そんな関係って面白くないでしょう? 何もかも通じ合ってて、それこそ何も言葉は要らない、なんていう二人を見たら、僕だったら気持ち悪さを感じてしまうんだけどなあ。
 どうでもいいけどね。兎も角、僕らは喧嘩したわけ。
 切っ掛けは些細なことさ。ただ、僕が仕事から帰ってきたときに『タダイマ』って言わなかっただけのこと。
 些細だろう? ほんと、些細なことなんだ。でもね、それを言うと言わないとじゃあ、違うんだよ、やっぱり。違うんだ。ドアの鍵を開けて、ドアを開けて、中に入って、靴を脱いで、『オカエリナサイ』って僕に近寄るチフユに目配せだけして、手洗いで手を洗ってうがいをして、部屋の中に進んで、服を着替えて、冷蔵庫からジンジャ・エールを取り出して、コップに注ぎながらパソコンを立ち上げて、ひと口飲みながらパソコンの前に座って、それから小一時間、禄に口も聞かずにネットサーフィンをする、なんていう行為が許されるものか? この中の何処に許されるべきでない事柄が隠されているか? そんな質問、きみにはしないよ、敢えて。
 まあ、ともかくさ。そういうわけで、仲違いして分かれてから、もう2時間は経つわけ。僕は今更、こんなことに慣れっこになっちゃったものだから、相手がいつ帰ってこようが、或いは一生帰ってこなかろうが、そんなことは知ったことじゃない、って開き直ってもいるわけなんだけれど、問題はその相手の方がどう思ってるか、ってことなんだよね。言葉の上だけで反省をしてみることがいいことが悪いことかなんて、僕にはなんとも言えないよ。たださ、一度出て行った手前、自分から帰ってくるのって、格好悪いでしょう? だから僕たちの場合も、一方がまず折れなきゃいけないと思うわけ。つまり今回の場合、僕さ。こんな…、暇潰しみたいにパソコンの前に座って愚痴を零しているより先に、まず何かするべきことがあるんじゃないかって、自分でも思わないわけじゃないんだよ。でも…、でもさ。何か、こう…、理不尽を感じない?
 けれども、ね。結局のところ、分かってるんだ。こうやってキーボードを一々打って、文字にして画面に出して、自分の考えを改めて認識して、ちょっと…、ほんのちょっと落ち込んでいるだけじゃあ、何も進まないんだろうな、って。待っているだけじゃあ、チフユは帰ってこない。僕の何らかのアクションが必要に違いない、そう思って、実はさ…、5分くらい前に、チフユに電話してみた。電話したんだ。そうしたら、どうだったと思う?
 …ああ、訊くまでもないか。分かってるよね。そう、チフユったら、電話に出てくれなかった。僕のこと、完全に無視したんだ。こんなこと、今までになかったんだよ。例え仕事中だったって、無理にひとりになってまで僕の電話を受けてくれたチフユが、とうとう電話に出てもくれなくなった…、それを知ったとき、僕は思ったんだ。もしかしたら、僕たち

 そんな中途半端な位置でチャットのログが途切れたのは、まさにその瞬間にチフユからの電話が入ったからだった。僕は…、大人げないのだけれど、正直浮かれてしまって、チャットのことなんてどうでも良くなってしまった。この世で一番大切に思っているはずの人を失いたくないと思う気持ちに嘘も本当もないもので、そう気持ちが嘘か本物かと問うこと自体の現実味を問いたくなるのが、普段の僕なのだ。だからそのときは、本当にチャットのことなんて放り出して、チフユからの着信を受けた。
 そして数秒後、僕は電話を叩き切るように切った。携帯電話であったのが口惜しかった。固定電話だったら、全く、確実に受話器を叩き切っていただろうと思う。
 数分後にはきっと、チフユは喜色満面の笑顔で、財布を賑やかにして、土産の紙袋まで抱えて帰ってくるに違いないんだ。そういう奴なんだ、チフユっていう奴は。
 どうして彼と未だに離れられないのか自分でもよく分からないけれど、そういう間柄でいるうちが、人生、幸せな領域に含まれると解釈出来る余地があるのかもしれない。


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