階段



「ていうか、考えたには考えたんだ」
「何をさ」
「階段」
「階段?」
 彼は僕の方なんて少しも見ないで、相槌を打った。彼は抑揚のない相槌をしながら、ペン先の音をカリカリさせている。先程から――もう数時間前のことだが ――ペーパーの原稿を描くのに夢中なのだ。ペーパーというのは、まあ…、ううん、なんというか…、そう、チラシのようだと思ってくれればいい。それ以上を推察する必要性を、僕は感じない。
 僕は僕で、彼の方なんて少しも見ないで、キーボードを打つ手を休めることなく言葉を続ける。これ、実は僕のちょっとした特技だったりする。相手と話を続けながら、淀みなくキーボードで文字をタイプする。逆に言えば、キーボードをタイプし続けながら、会話をする。これって、結構難しいことだと思うのだけれど。
「そう。100題の2番」
「ああ、階段」
 彼はやっぱり何の興味もなさそうに相槌を打つのだった。
 ちなみに、100題というのは「文字書きさんに100のお題」という、あるテーマに沿って文章を書くもので、そのテーマが100個ある。僕はそれに挑戦しているのだ。何せ100のテーマだから、終わりはなかなか見えない。なかなか見えない、どころの話ではなく、僕は未だに全くと言っていいほど、ものを書いてなどいないのである。
 彼は僕の当初の意気込み――この100題を始めた時の――をを知っているものだから、余計に僕に冷めた表情を見せる。春先なのに、暖房が恋しくなるのは不思議と桜前線が北上しているためのみではないだろう。
「なに? 怖い話でも思いついた?」
「ん、そりゃあ、考えないでもなかったけどさ」
 それは違う漢字だろう、と突っ込むのは止めにして。
「色々考えたんだけどさ、なかなか思いつかなくて」
「だろうね。きみの考えることなんてその程度なんだから」
 カリカリカリ。僕に背を向けたままの彼の手元から響く音。
「言い過ぎ」
「別に?」
「ていうか、思いつかなかったんだから何も考えなかったんじゃん、くらいは言って欲しいな、僕は」
「知らないよ、そんなこと」
「僕も知らない」
「じゃあ、やっぱり僕が知るようなことじゃないね」
「まあ、そう言わず聞いてよ」
「聞こう」
 彼の手元は更に興に乗っている。楽しそうだなあ、と僕は脳裏の隅でチラリと思った。思ったが、絶対に口にはしない。それは少しだけ癪だったから。別段、僕は彼が絵を描くことに何の異論も持ちはしないし、むしろそれを喜ばしく思うのだけれど、それに伴って僕の調子も上向きになってくれないかなあ、と思うにつけ、ほんの少しの虚しさをも感じてしまうのである。
「聞いて驚くな。なんと尖塔の頂上の密室殺人事件なのだ」
「へえ」
 案の定、彼は全く驚かなかった。カリカリカリ。
「ちょっとは驚こうよう」
「驚くなって言ったじゃない」
「言ったけどさ」
「何か、僕が驚くようなことを言ったなら別だけど」
 そう言う彼は、僕の言葉くらいじゃ滅多に驚かない。明日になったら僕が猫になっていたとしても、彼は驚くどころか喜んで僕を可愛がり始めるだけだろう。それはそれで、悪くはないけれど。
「こう…、25メートルくらいの塔。灯台みたいな。塔の中には螺旋階段があってね、てっぺんの部屋に行くにはその階段を上るしかないのさ」
「へえ」
「あるとき、ある人が塔の前を通り掛かってさ、そのとき、てっぺんの部屋から女の人が顔を出して、『助けて〜』って叫ぶの。で、彼女が頭を引っ込めた直後に、今度は悲鳴が聞こえるわけ」
「何か突っ込んで欲しいわけ、僕に」
「ううん」
「じゃ、続けて」
 僕は続ける。キーボードは打ち続けている。
「驚いたその人は、慌てて階段を上った。直ぐに頂上に着いて、部屋に通じるドアを開けると、その中で女の人が死んでいた。誰かに殺されたのは明らかで、けれど」
「他には誰もいなかった?」
「そう! ビックリでしょう」
「だから驚かないって」
「密室殺人だよ密室殺人」
「ミシツ?」
 『密室』は、発音しにくい言葉のうちの一つだと思う。
「で、結局なんなわけ?」
 彼は結論を急ぐ。いや、話の結論を急ぎたいのだろう、きっと。折角手元が乗りに乗っているのに、彼自身の態度が妙に冷静過ぎて、僕は僕で二律背反な面持ちで答える。
「その階段、実は二重螺旋だったのだよ!」
 語尾に大仰な効果音をつけてまで真相を発表したのに、返ってきたのは思いっ切りの無反応だった。それを反応として受けてしまう辺り、僕は何かを期待していたようで情けない。
「二重螺旋って、出来るの?」
「そりゃあ、こう、グルグルと…」
 僕は両手の人差し指を回転しながら上方に向かう階段に見立てて、目の前にグルグルと透明な図を描こうとしたが、
「…あ、あれ?」
 直ぐに空想の階段は途中で重なってしまった。
「出来ねー」
 僕が懊悩していると、はあ、とわざとらしい溜め息。
「ダメじゃん、いきなり」
「いや、出来ないはずはないんだ。ほら、DNAの二重螺旋みたく」
「知らない」
「ああ、もう…」
 僕は指をグルグル動かすのを止めずに、
「円柱の外周を、こう…、ダメ? ダメかな」
 往生際が悪い。
「出来ないんじゃない? エレベータみたいなら別だけど」
「エレベータ?」
 僕のキーボードが止まった。正確には、キーボードのキーを打つ僕の手が。ただしそれも一瞬だけで、直ぐにまた続きが始まる。
「それ…、エスカレータのこと?」
 僕は訊く。彼のペンを持つ手が止まった。
「そうそれ。忘れてた。勘違い」
「ナルホドー。じゃあそれにしようかな」
「その程度なのかよ」
「その程度」
「だってさあ、それくらいしか思いつかないんだもん」
 一度だけ空を仰いで、僕は息を吐き出すように言った。
「あるでしょう、幾らでも。階段」
 ペンを動かし始め、彼は言う。それはもう、飽きるほどにあるだろう、この世に階段は。
「ダメ。思いつかない。――その程度なんだ僕はぁ」
 あああ、とほんの少し奇声をを発して、
 そして、ふと。
「――ていう会話をさ、そのままこれに書いちゃダメかなあ」
 僕はキーボードを打つのを止めて、訊いてみた。100題の2、「階段」。実のところ、僕はまだ、何を書いたらいいものか、全く決めていない。二重螺旋階段のアイデアなど、小説として使えるようなものではないことくらい、思いついた瞬間に判断出来ている。その程度で一喜するほど、僕だってそこまで愚弄じゃない。
 けれど、こういうやり方もアンフェアでしかないじゃないか。
「ダメだと思う」
 彼は即答したのは、だから当然のことで、
「そうか…、ダメか。そうか」
 僕は頷いて、…だから結局諦めることにした。何をって、多分思われているだろうこと、全部。


目次


Copyright(c) Kazui Yuuki all rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送