ニコラスの遣い



「こんばんは、夜分遅くに恐れ入ります」
 丁度、日付が替わった頃だった。クリスマス・イヴは終わり、クリスマスに名前だけが替わる頃合。見栄とか外聞とか付き合いとか世間体とか馴れ合いとか、そういった社会的なこととは関係なく、ひとりきりのクリスマス・イヴだった。独身を気取っているわけではない。健全なお付き合いをさせて頂いている同じ年の恋人はいるのだ。ただ、お互いに努め人であって、年末のこの時期、色々と立て込んでしまう職種にどちらかが就いていると、週末の土日がクリスマス・イヴとクリスマスである本年度のスケジュールを調整するのはなかなか難しく、まあこの年になってその日付でないと何かを祝えないのかというか、
「別に何を祝っているわけでもないしね」
 と彼女が言うもので、じゃあ年末年始にゆっくり出来るように出来得る限りの日取りの遣り繰りをしましょうと、まあそういうわけである。見た目は一人身と変わりがないのには頷くしかないのが、つらいところである。
 そんなところで、まあ誰かと過ごすクリスマス、というものは大抵、『誰かが横にいる』ということを差しているのに過ぎず、特別な夜を過ごしている人の数は、この国ではそう多くはないのではないかと考えている。これは大晦日と元旦の境目に代表して言えることであって、特定の日時、瞬間を切り取ってアニヴァーサリィとすることを人はやたら好むのだけれど、大切なのはそのときその場所で何をしていたのかというような具体的なところにあるのであって、抽象的な事に関しては殆どの人は重要視しない。本質的にはそれが逆であるべきこともあると思うのだけれど、大概はそれを無視して、或いは黙殺して、それとも気づきもせずにイヴェントという括りで捉えてしまうのが不思議な限りである。
 ケーキもシャンパンもターキーもなしの晩餐は、勿論、大晦日のディナーのための資金源としてスライドされるために建設的な予算配分であるといえるのだけれど、しかしまあ味気ないと言えば味気ない夕食であった。仕事納めにはまだ間があるために、柄にもなくやる気を出してしまってネットのストリーミング放送などを聞きながら仕事の残りなどをしていると、玄関のチャイムが鳴った。時計を見れば日付が替わっている。
 ドアを開けると、上から下まで真っ赤な格好をした人物が、玄関先に立っているのだった。白い縁取りの赤いニット帽、やはり赤いダッフルコート、少しだぼついたカーゴパンツのようなズボンも赤く、足元のブーツまでもが赤いのだった。クリスマスの宅配便、などと遠回しに表現する必要もない、サンタクロースの格好である。
「はあ」
 誰かへのプレゼントを届ける業者なのだろうか。夜分遅くに、というか、本当に深夜の時間帯である。迷惑もいいところだ。天候や交通の事情でこんな遅くにまで配送をして回っているのだろうか、とちらりと考えつつ、
「どちら様でしょうか」
 社会人である私は訊いてみる。基本的に、名乗らない相手は信用出来ない。
「ニコラスの遣いの者です」
 帽子を目深に被った男とも女とも分からないその人物は、耳慣れない人物名らしきものを口にした。聞き覚えがない。
「……どちら様でしょうか」
 私は同じ言葉を繰り返すしかない。相手は小さく笑う。
「今夜、世界中に贈り物をして回っている迷惑な者のうちのひとりですよ」
 そう言われたら、『サンタさん』であると自称しているのも同じではないか。本当に、誰なのだ。サンタを曖昧に自称している割には、同時に『迷惑な者』などとのたまっている。贈り物をして回っている、と言うくせに、目の前の酔客は面妖な格好以外は手ぶらに見える。
「うちは、今年は必要ありませんよ。俺も彼女も、仕事で忙しくって」
「そうですか、ご苦労様です。ですが我々、誰に贔屓をするというものでもありませんので」
 彼の目的が全く分からないので知らぬ者とは関わり合いにならないのが一番の無難、を実践するべくそう突っぱねようとしたのだが、相手は全く意に介さず、ポケットから何かを取り出して差し出してきた。つい受け取ってしまう。名刺サイズのカードのようなものである。
「確かにお渡ししました。ごきげんよう」
「え、なに……」
 手に握らされたカードに一瞬目を落とした隙に、唐突な別れの言葉を聞かされた。慌てて顔を上げると、もうその人物の姿は消えている。子供が寝静まった頃合を見計らってプレゼントを置き去っていく老いた男の所業のような鮮やかな去り様である。まるで誰も訪ねてなど来はしなかったかのような静寂が戻ってきた。
 カードには12桁の数字が書かれている。男の名刺代わりに肩書きでも書かれているかと思ったが、名前すらない。ニコラスとやらが何者かすら、最早分からなくなってしまった。何から何まで、不明のままである。どうしようもない。けれども、『090』で始まる数字が携帯電話のものであろうことは直ぐに想像出来た。
 私たちには、もうサンタクロースは必要ない。拒絶しているのではないが、夢よりも現実を見る度合いが高くなり過ぎてしまっているのだ。自分たちの理想は自分たちが選び、築いていける。現実を見つめ、奏でていける。それだけきちんと大人になることが出来たのだと自覚しているのだ。それでも、やはり、甘えても構わないのだと呼び掛けてくれる者はいるらしい。
 部屋に戻る。携帯電話に一件の着信があった。それは私の手に握られているカードにも書かれた数字の羅列と同じもので、携帯電話の画面には、その番号が既に私の携帯電話のアドレスに登録されたものであることを示す名前が併記されていた。電話番号というものを覚えなくなって久しいが、そのときになってようやく、その番号が、私が今日、最も近くにいたい、隣にいたい、側にいたいと希求していたらしい人物のものであることに、気づいたのだった。


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