所詮、自分事



「お待たせ致しました、ロイヤルミルクティーです」
「ありがとう」
「どうぞ、ごゆっくり」
「ええ。……ねえ、マスター、ちょっとだけ、いい?」
「なんでしょう」
「あたし、仕事辞めちゃおうかなあ」
「これはまた唐突に。どうなされました」
「うーん……、嫌になっちゃったの、今してる仕事」
「忙しいのですか」
「すっごくね。一日中、仕事のことしか考えてないと仕事が出来ないくらい仕事まみれなの、毎日」
「それはまた……、それでは気が滅入ってしまいますね」
「そうなの、滅入るっていうか、参っちゃったのね、つまり。毎日毎日、まーいにち、同じようなことの繰り返しなんだけど、でも、きっちりぎっちり、仕事のことだけ考えて生きていかないと、次の日の仕事に繋がっていかないの。マスターも、そういうときって、ない? お客さんを迎える準備とか、お茶の材料の仕入れとか、幾ら考えてもキリがないことがたくさんたくさんあって、考えても考えても絶対にまとまりなんてつかないんだけど、でも考え続けていないとその日も終わらないし、次の日も始まらない、っていうこと」
「ええ、ございます。勿論ですとも。誰もが、毎日が終わらないことの繰り返しです。……冷めないうちに、どうぞ」
「ありがとう。……ああ、良い。大好き、ここのミルクティー」
「ありがとうございます」
「それでね、そうしているうちに、次の日も次の日も、その次の日も仕事のことだけ考えて生きてかなきゃいけないな、ということに気づいちゃうわけ。もしかしたら、あたしの要領が悪いだけなのかもしれない。頭が良いって思ってるわけじゃないし、悪いって思ってもいないけれど……、なんというのかな、順応するのが難しいのよね、遊びと違って、仕事っていうのは」
「そうですね。どんな仕事でもそうです」
「でしょう、でもね、困ったことに、あたしの場合、そうしているうちに、おかしなことになってきたような気がするんだ。毎日毎日、仕事のことばかり考えていたら、仕事自体は巧くいってないわけじゃないんだけど、その『仕事をしている自分』の外側にあるはずの自分が曖昧になってきちゃってるような気がするんだ。なんだか、自分のことが考えられなくなっちゃうの」
「それは困りましたね」
「本当よ。仕事のことだけを考えなければ仕事を続けることが出来ない。仕事自体は難しいはずじゃないのに、仕事をし続ける限りは自分を殺し続けなければならない。ちょっと大袈裟かな。でも、社会人って、みんな、そうなのかな、って、ふと思ったんだ。営業したり、ものを作ったり、誰かにものを教えたり、書類をまとめたり、ただ窓口に座っているだけでも、そうしている人たちは、本当の自分を隠して、偽って、別の人間の皮を被って生きているみたいなんじゃないかなって。不思議じゃないことのはずなんだけど、改めて考え始めちゃったら、なんだか頭の中でぐるぐるし始めちゃって止まらなくって。……マスター、もう一杯、ミルクティーを頼んでも良い?」
「まだ、お代わりには早いのでは?」
「違うの、マスターにご馳走してあげる。今日のマスターのお茶、すっごく美味しいよ」
「重ね重ね、ありがとうございます、ですが」
「なに?」
「そろそろ、お仕事の時間では?」
「そうだ、……そうだね。ありがとう、マスター」


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