ビリジアン



 冬のバスルームは寒いので、彼女は直ぐに着替えを着込んで部屋に戻ってきた。
 僕はコーヒーを飲むのをやめて、彼女を手伝うことにする。
「きょうね」
「うん」
 僕は彼女の髪を梳きながら頷いた。
 洗ったばかりの綺麗な髪。
「きょう、いやなことが、あったの」
「うん」
 相槌を打って、僕はスプレのボトルに定着剤を入れる。
「まいにち、なにかいやなことがあるようなきがする」
「そうかな」
「きっと、そう」
 確かにそんなものかな、と僕は思う。
「僕も毎日、嫌なことがあるよ」
「そうなの」
「そうだよ、でも」
「おなじくらいいいこともある?」
 在り来たりの言い回しを用いようとしたら、あっさりと窘められた。
 僕は返事をしない。
「いやだな、そういうの」
「ごめんね」
「ううん、いいの」
 彼女は首を僅かに振る。
「なかなかね、本当の大人になるってのは難しいものだよ」
「わかってる」
「僕も分かってるつもりだけど、それでも自信はないな」
 僕は、彼女の髪をうなじの辺りでふた房くらい、指に絡ませる。
「ちょっと、上向いて」
「うん」
 ボトルに溶かしたビリジアンを少し、霧吹く。
 毛先がほんの少し、緑色に染まる。
「ほら、できた」
「ありがと」
 少し、沈黙があった。
 指に掛かったビリジアンを眺め、僕は問う。
「きみは、来年、幾つになるんだっけ?」
「じゅう」
 本当、大人になるのは色々、難しいのだ。


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