電話ボックス



 もう、現在ではあまり見掛けなくなった電話ボックス。
 けれども、近所に幾つかあるのを覚えている。覚えているくらいなのだから稀少なのかもしれないけれど、その中のひとつが、僕がいつも朝夕、通る道の脇にある公園の敷地内にある、古びたボックスなのだ、また。
 その日の夕方、日が暮れて殆ど真っ暗になった冬の帰り道、僕は特に何の興味も向けず、いつもの通りにその公園の横を通り過ぎ、公園の中にある電話ボックスをも、また、通り過ぎようとしていた。
 しかし、その日は、それまでとは少し、違っていた。
 電話ボックスの中には、ひとりの男がいた。珍しい、今どき若い男が公衆電話で通話をするだなんて。ケータイの電池でも切れたのか。しかし今どき、コンビニで簡単に充電器を買うことが出来る。大体、誰かに電話をしようと思っても、ケータイの中にアドレスを保存していることが殆どなのだから、『ケータイの電池が切れたから公衆電話で電話する』ということが行動としてなかなか繋がらないのだ。
 そんなわけで、珍しい光景を目にした僕の歩調は緩んでいた。電話ボックスからも外を歩く人間の姿は普通に見えるわけで、そんなに興味津々と眺めるようなことをしたら、逆に非難の目で見られるに決まっているのだが、そこは夕暮れの闇に紛れてのこと、僕はふと湧いた野次馬根性で、さりげなく電話ボックスの側を歩くことにする。
 すると、妙なことに気づいた。男の体勢が妙に傾いでいる。というよりも、僕と同じくらいの背丈である彼の身体は、殆どがガラスの壁にもたれかかるようにしており、膝は崩れ、顔はうな垂れ、とても自分の力でその場に立っているようには見えないのだった。
 僅かに黄色っぽく光る、電話ボックスの明かり、それが男の服を照らしている。そのジャケットの胸元から腰に掛けてが、やたらと赤黒いことに気づいたのは、自分が最早ボックスの直ぐ側まで近寄っていることに気づいたのと同時だった。そして思う。あの赤いものは、もしかしたら……、血ではないのか。
 男は怪我をしているのか。どうして。事件か、事故か。彼自身の過失で怪我をしたのか、それとも、誰かに怪我を負わされたのか。あの軽症とはとても思えない怪我の原因を作った何者かが、近くにいるのではないのか。連鎖反応的に、僕は考える。
 そのときにはもう、僕はいつの間には電話ボックスの直ぐ外に立っている。男に声を掛ければ、返事が普通に聞こえてくるであろう位置にまで。しかし、男は微動だにしない。僕の存在に気づいていないわけはないだろう……、いや。彼は。
 そして、また気づく。ぶら下がって宙に浮いている受話器から漏れる呼び出しの声。少しトーンが高い、女性の声か。恐らくはこの男の名前であろう単語を繰り返し、呼び掛け続けている。テレホンカードが挿入されているのか、通話可能時間の表示がまだ残っている。赤い男が誰かに発信し、そして相手が受話器を取り、通話の最中か、それとも相手が応答する前に、男は通話を続けることが叶わなくなった。
 応えない男。
 何が起きているのか、分からない僕。
 ここにいるのは、僕ひとり。
 そして、魔が差す僕。

 これは、ほんの短い、反駁の物語。


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