恋愛エチュード



 近所の公園に散歩に行くと、その中央に設置された小さなステージには一人の少女が佇んでいた。何やらしきりに身振り手振りを交え、調子よく声を放っている。
「……そう、私は貴方だけを信じていたはずだった。私の思うべき者はただ一人、貴方だけなのです。それが私の信念であり、信条であり、慕情でもあった」
 淀みなく口が動き、しんと静まった公園に響く凛とした声は、けれど普通に人が喋るものとは雰囲気が明らかに異なり、彼はそれが演劇の台詞なのだと知れた。
「けれど貴方は私を拒んだ。それに留まらず、私の前から姿を消し、自ら現われようとはしなかった」
 一瞬、彼女と彼の視線が交差した。が、彼女は気に留める様子もなく、エチュード(練習)を続ける。恐らくは演劇に携わる者なのだろう、人に見られた程度で練習を止めるくらいの度胸では話にならない、ということか。
 時折ちらりと向けられる彼女の視線の先にベンチがあり、その上には劇の台本らしき冊子が置かれていた。彼はふと湧いた興味から、そちらに歩み寄る。自然、少女との距離は近くなった。
「貴方は卑怯だ。私のこの思いを知っていながら、何も答えず、あろうことか姿を変えて再び現われたのだから。これを卑怯と言わずして何と言おう」
 どうやら男女の恋愛物語の一場面のようだ。彼は好奇心から、ベンチに座ると、『見ても?』と冊子を掲げてみせる。突然の申し出にも、彼女は台詞を止めることなく、頷いた。
「私は屈するわけにはいかなかった。それが命運だと定められたのだとしても。それが覆しようのない不文律の名の下の剣に囲まれていても」
 劇の内容は、こんなものだった。恋する女性の告白の前から無言で姿を消した男が、別人となって再び現われ、女性は二人の男を別々に愛してしまう。恋心の複雑さを表現しようという試みのようだった。そして今語られているのは、最後の場面。女性が男の正体を悟り、思いを再び告げる、というシーンだった。
 相手の男役は、ここにはいない。彼は台本に目を向け、男の台詞を同時に辿りながら、彼女の一人芝居を聞くに努めた。そして、最後の場面……、女性が男に相手の本心を問う場面。
「貴方が誰なのか、私は分かっている。貴方が私の前に現われたことが、何よりの証明」
 彼は、おや、と思った。台詞が少し違うような気がする。まるで彼女は、本当に目の前にいる誰かに呼び掛けているかのようで、……そしてそれは確信へと変わる。
 彼女は確かに、彼を見て、こう告げたのだ。
「そう思わない? 貴方――」

「……という感じの寸劇なんだけれどね」
 彼は台本から顔を上げて、真向かいに座る彼女の意見を待った。物静かな公園の一角。試しにこれから彼女と少し、演技をしてみたところだ。
「『恋愛エチュード』。作中作の劇というわけね」
「そう。劇の練習をする劇。入れ子細工なのさ」
 得意そうに彼は言ったが、彼女はあまり乗り気ではないようだ。
「どうかなあ……、観客からすると少し分かりづらいんじゃない?」
「そんなことないさ。……ですよね、皆さん?」
 こちらを向き、口にした彼の言葉を最後に、幕が、するすると閉まった。

(観客、ぱらぱらと拍手)


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