明日の予感



 「昨日・今日・明日」なんて、ぼくらは自分が時間という一本の直線上に立っている風に考えてみるけれど、それは本当は間違いだってことに気づかなきゃいけない。
 「明日」なんて時は来ない。そして「昨日」なんて時はなかった。それを自覚しなきゃいけない。
 日々の繰り返しは、「今日」という名の日々の繰り返しであることに、早く慣れなきゃいけない。
 時間、というものは流動体のように移動するのでもないし、一本の道の上をぼくたちが歩いているわけでもない。
 だってそれが本当なら、時間の進め方を変えることも可能じゃない?
 けれど、「今日」という時間は繰り返さない。誰の瞬間も、瞬間ごとに移り変わり、そして、決まった「今日」は再び訪れない。
 確固としてここにあるのは、「今」という連続した瞬間のことだ。
 遠回りしたっていいじゃない。それは挫折への近道じゃなく、解決への方向転換なんだから。
 時間の軸は一本じゃない。終着地が決まっているものじゃない。
 それに、時間は失うものじゃない。先に、ただ無限にあり続けるもの。無為に、霧消に、際限なく、ね。
 動いているのは、ぼくたちの命の脈動の方だ。
 時間、それは那由他の夢であると同時に、最初から存在しないもの。
 あるのはただ、ここに居るという自分だけ。
 そう、確かにあるのは、きみという存在に他ならない。
 だから、ほら、一歩を踏み出さなきゃ。何かを考えるのは、それからでも遅くないよ。
 時間は止まらないんだから、自分だけ止まっている幻想に溺れるのは詰まらないでしょう?


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