五分後のきみへ

 五分後のきみへ


 ここで、いいかな。
 まあ、座ってよ。座り心地は保証できないけれど。図書室の椅子に予算がどの程度割り振られているのかは、流石に僕も知らないな。訪れる人の多くは、ここで調べ物や筆記のために座って各々の作業に取り掛かるわけだから、石畳に座るよりは悪くない筈だ。
 うん、大丈夫。畏まる必要はないよ。普段通りにしてくれたらいい。
 …はは、そうもいかないか。自分の部屋でもないのに『普段通りにしろ』なんて無理な注文だね。常套句ってのは、割合自分本意に作られた文言なのかもしれないと思うね、僕なんかは。
 それを知っていながら、こうして口にしてしまうんだから、無意識の言葉っていうのは、時に怖いね。何も考えずに発した言葉が相手を傷つけてしまうなんて、日常有り触れたことだし、意識して言葉を口にしていても結果は変わらないかもしれない。その人の天性と感性の問題なんだ。そういうことは、むしろ、受ける側の問題なのかもしれない。
 僕ときみの場合、どうかな、まだ警戒されているかい?
 …要は緊張しないで、気を楽に、ってことだから。
 こんな台詞、一々言わない方が、相手に意識させなくていいとも思うんだけどね。そうもいかない。何か、言葉を発して相手に意識を向けさせなければ、独り言を口にしているのと同じだからね。かといって、それが何だって構わない、というものでもない。人間の叡智は物事を言葉で論理的に組み立てて思考することだと言うけれど、人と人が接する際には、それが長所にも短所にもなる辺り、万能ではないということがよく分かる。
 そもそも、図書館という施設には会話は似合わないからね。そういう空気がある。口から言葉を発するのが許されないような雰囲気。文献に目を通すのに、お喋りは必要でない。その代わり、多くの文献の中には膨大な人々の語り掛けが納められている。お喋りなんて比べるまでもないくらいの言葉の波が相手を襲うわけだ。…襲う、というのは言い過ぎかな。けれど、人が一日に口にする言葉よりも、一時間本を読んで、目にした言葉の方がずっと多いかもしれない。
 つまり、多くの人が何かを話したくてうずうずしながら、口の封栓を取り外すのを今か今かと待ち望んでいる状態、それが図書館の空気なんだ。そう考えたこと、なかっただろう? 想像してみると、結構怖いよね。だから、小さな子は雰囲気に呑まれて、逆に騒ぎ出してしまったり、時間が止まったような空気を怖がって、赤ちゃんなんかが急に泣き出してしまったりするのかもしれない。きみだって、そんな経験があるだろう、多分? ただ静かだから声を出すのが躊躇われる、そんな単純な雰囲気じゃない、何かがこの施設全体に漂っているのを。
 一瞬の咳払いをするのですら、つい気を使ってしまう空間なんて、余程の事情だと思うよ。別段、それを誰かが咎めているわけでもないし、その場のルールとして決められているわけでもない。…ああ、勿論、暗黙の了解、というのはあるね。それが先刻話した『空気』に起因するものであることは言うまでもないし、いつのまにか発生して人に刷り込まれた、そうさせないという圧迫感が逆に雰囲気を作るのに買っているのかもしれない。
 僕は必ず、図書館から外に出た時に、まず深呼吸をしてしまう。本当は一声、気合を入れるみたいに鋭く発声でもしたい気分なんだけれど、外聞を気にする上でそれは出来ないのが性分だ。こういう性格だからね。
 考えてみれば…、図書館の机に対面して座って、話をする、なんて光景、滅多に見られないね。僕たちは案外、貴重な一枚絵として人の目に映っているのかもしれないね。…ああ、あまり辺りを気にしないほうがいい。逆に目立ってしまいかねないから。
 僕のこと、人が悪い奴だと思うかい?
 自分でも自覚しているよ。人が考えないことを考えて、人がしないことをする、それが僕の信念の一つなんだ。それが良い方向に働くも、悪い方向に働くも、その場次第だ。けれど、それが刹那的な生き方に結びつくと判断したら、僕はそれから脱却する。逆に、それが己にとって、未来や将来に向かい、貴重な体験であると少しでも思えたなら、躊躇わずに実行に移すだろう。
 今が、それだ。利己的な言い方になるけれど、人の信念には必ず例外が存在する余地があると思って構わないと思う。そうでない信条の持ち主は、単なる利己主義者だ。それも独裁的な、ね。
 ただ…、他人のために尽くそうという思想は、自分には似合わないと思っている。
 当然、例外もあるさ。きみは別格だよ。特別扱いだ。
 何から話そうか。そう――、那由多に会ったときのことから。
 僕が那由多に初めて会ったとき…、何を考えて生きているのか、ちょっと判断に戸惑ったのが正直な感想だったな。…あ、変な顔したね。そうなんだ。人は第一印象で付き合い方が決定されるっていうけれど、僕と那由多の場合は、その意味では若干意識のズレがあったと明言出来る。今だから、こうして過去形で話しているけれど、そう簡単に一言で片付けられるようなものじゃないってこと、ちゃんとピンで留めておいてくれよ?
 でも…、どうなんだろう。丸っきりの他人同士だったのに、何処か通じるものがあった、と今なら言える。はっきり言えば、お互いに変わった奴である、という単純明快な事実が付いて回ったおかげでもあるのかもね。全く、きみはそうやって笑うけど、今だから、笑えるんだよ? 過去形の話っていうのは、人の頭の中で物語化されて表に出るから、面白いんだ。本人にとっては苦渋の経験であっても、口にされると簡単に面白可笑しく受け止めることが出切る。他人事だからだ。本を読むのと同じ。文字にされた事柄は基本的にどんな内容の話であっても、虚構のものでしかない。実際に起こった出来事が文章化された本であっても、現象を文字にする過程を通る際に印象がぽかされることが多い。 ああ、きみが気にすることはないよ。可笑しかったら笑ってくれても構わないんだ。それはきっと、僕がそういう風に話しているに過ぎないんだから。少なくとも、きみはそう思ってくれていい。そういうものなんだ、物語っていうのは。分かるだろう? ある人の過去は、それ以外の人にとっては物語と受け止められ、受け入れられる事実だ。それをきみが気に掛ける必要など何処にもないんだ。それを話す当人の内側で、どのようにして過去が処理されているかなんて、それが口にされた時点で決まっているんだから。もう、終わって、過ぎてしまったことなんだからね。
 …ちょっと話がズレたね。まあ、時間は沢山ある。ゆっくり行こう。ここの空気自体、止まっているように感じられないこともないし、ね。悠久を語るには、ここほど適した場所はない、かな。なまじ、自分たち以外の人間がいることがはっきりしているだけに、その差異が逆に静観さを助長させて、いいね。

 ――その時も、僕はこの席に座っていたな。そして、何をするでもなく、図書館の空気を感じるに身を任せていた。空気や雰囲気を感じるのが身体と精神のどちらか、という問題は、今は棚上げにしておこう。
 ちょっと、あっちを見てごらん。…そう、僕が指差す方。奇妙なオブジェが幾つかあるのが見えるだろう? 丸い硝子細工だ。色々な色を付けられた、ランプみたいな。あれ、天井から下がっているんだ。如何にも図書館にお似合いの芸術、って感じだろう?
 まあ…、芸術を『芸術』だと感じるか否かは鑑賞者の視点によって変わるし、鑑賞者そのものによっても異なるから、僕がそう言い切ることは出来ないか。そもそも、芸術品だけが『芸術』だと定義されたものでもないからね。
 少なくとも僕には、ガラクタには見えなかった。その時点で、その物体はガラクタではなくなる。芸術の原点は、そういうものだったと誰かが言っていたね。そして、芸術が芸術たり得るのは、そのものが『芸術』のためにのみ存在するからこそ、そう言えるのだと。…余談は兎も角。
 そこに那由多はいたんだ。厳密に言えば、僕が初めて那由多という少年を目にしたのは、あのオブジェの下に立っている姿だった。それは館内の角だったし、僕の視界の中に他の人の姿がなかったからかもしれないけれど、その姿は妙に浮かび上がって見えたんだ、その情景から。
ランプのような、釣鐘のような、空想上の果実のような…、一目ではどうとでも取れるような硝子細工は、製作者が意図的に、鑑賞者に認識を任せたのだろう。細い鉄線で吊り下げられたそれらは、宙に漠然と浮かび上がる正体不明の意識のようだった。
 今になって思えば、人の意識は、まさにそんな印象を受けなくもない。何処にあるのか判然としない思考は、人の脳裏から何処かに浮かび、流れ、漂い、自然に似たもの同士が集まって、あんな奇妙な光景を作り出しているのかもしれない。それが人の目に見えないだけで。
 少年は、その中の一つに視線を向けていた。その顔に表情らしい表情はなく、それが彼の相貌の端正さを伺わせていた。それは無表情なのではなく、ただ単に感情が表立って見えないというだけのことなのだけれど、それこそが僕は人の表情で一番綺麗なものだと思っている。
 薄い色の髪は、目立たない内壁に溶け込みそうな色をしていて、電灯に照らされた影法師も妙に薄っぺらかった。薄手の外套を羽織って、細い指や手首をしていて…、整った鼻筋や睫毛の先端まで、彼を包む装飾は頼りないのだった。
 鉄線という頼りない支えは、神経回路に読み取ることが出切る。ぶら下がった本体を突けば、所在なさげにゆらゆらと揺れる。とん、と硝子玉の一つを突いた彼は、それがゆっくりと振り子運動をする様を眺め、それが止まると玉を手にとって、暫く眺めていた。
 言葉で説明すると短いものだけれど、実際には割と長い時間が使われていたと思う。硝子玉の中は空洞だろうから、本体は重くはない。振り子運動の速度は緩やかなものだ。少年は振り子の重心を目で追うということはせず、視線の先の一点を振り子が行き交う様を目線で捉えていた。
 ぼおっと、彼の仕草を僕は眺めていた。すると、
「そうやって、ぼくを見てる以外に、何かすることはないんですか」
 ぽん、と僕の耳に、そんな声が聞こえた。
 思わず辺りを見渡してしまったのは、そんな言葉が聞こえたのが意外だったからだし、そこに立っていた少年が単なる装飾品であるかのような錯覚を受けていたからかもしれない。真偽は定かではない。
 だから、その問いが正面かの彼から僕に向けられたものだと理解するまでに、若干の差があった。朝、目が覚めた瞬間に耳にした鳥の鳴き声のように、一つの音として聞こえたみたいだった。
「僕?」
 そう自身の顔を指差して、言ってしまった後で、自分の阿呆さ加減に笑ってしまった。
「何が可笑しいんです」
 彼は表情を変えずにそう言って、
「その問い掛けが」
 僕はそう応えて、今度こそ本当に笑った。多分、その時に浮かべた笑みは作り物の表情には見えなかった筈だ。表情の見えない少年は、その表情のまま、僕を見遣る。普通なら、そこで『不思議そうな』表情をしたことだろう。振り子を指先でそっと止め、次の言葉を待つように僕を見た。
「何もすることがないから、きみを見ていたんだよ、きっと」
 意識して口元だけに笑みを残して、僕は返事をした。
「それを言うなら、きみこそ、どうしてそこにいるんだい」
「さあ、どうしてでしょう。何か理由が必要なんですか」
 彼は、素っ気無く言う。
「別に? 僕がここにいるくらいに、きみがここにいる理由なんて必要ないのだと思うよ、僕は」
 僕は肩を竦め、立ち上がった。ゆっくりと彼に近付きながら、
「でも、既にこうして僕はここにいる、きみもいる。理由がなくても、ここにいることは出来るんだ。問題なのは、それに気づかない僕の予感の鈍さと、きみの警戒心の緩さだ。あるものの証明よりも、ないものの証明の方が余程難しい。つまりはそういうことなんだけどね」
 少年の指が触れたままの、オブジェの一つを、僕は覗き込んだ。近付いてみれば、それらの硝子玉には淡い彩色がされているのに加え、内側に何か小さな塊が封入されているように見える。丁度、細胞の中の染色体のように。
「暇なんですか」
「暇だよ。振り子を見つめていても眠くならないくらいに」
「振り子を見つめていると眠くなるんですか」
「『振り子を見つめていると眠くなる』という暗示を掛けられている人は、きっと眠くなるんだろうね。その暗示を掛けるためには、振り子を目の前で揺らしながら、囁き掛けないといけないけれど」
 僕は詰まらない冗談を言い、少年はその時になってようやく小さく笑みを漏らした。それが冗談の面白さに起因したのではなく、僕がそんな詰まらない冗談を言ったことが面白かったためだというのは、当然の理屈だ。
「ぼくの先生が、これの作者なんです」
 彼は、言った。『先生』が彼にとってどんな立場の人間なのかは即座に判断出来なかったけれど、後で知る方法は幾らでもあったから、問うことはしなかった。壁に小さなプレートが貼られていて、そこに作者の名前が彫られていることを後で僕は見た。
 …今もちゃんとあるから、後で見てみるといいよ、多分、覚えがある筈だ。
「変わった人なんです。こんなもの作って、面白いんですかね」
 まるで自問するように彼が言うものだから、つい僕は賛同してしまった。
「分かるような気がするよ。芸術家っていうのは大概、変わった人だって言われるよね」
「じゃあ、貴方もそうなんですか」
「何がだい」
「貴方も芸術家なんですか」
 人類誰もが芸術家さ、なんて答えも一瞬浮かんだけれど、即実的で蓋然的な受け答えは留めるに限るだろう。
「いや、どうしてそう思うんだい」
「変わった人だと思うから」
 無表情で彼は応える。
「僕が芸術家なのかどうかは兎も角…、僕はこれ、面白いと思うけれどね」
 僕は言った。先刻も話したけれど、あれらを『揺れ動く情緒』なんて解釈すると、その真下で会話する僕たちから感情は乖離していて、本当に上っ面の思い付きだけで話をしているのかもしれない…、そんな心象を読み取ることすら出来る。
「それに、芸術は『面白い』と思えるようなものではないと思うよ」
 それは忠告などとは掛け離れた、個人的な意見だったが、少年は一度、小さく首を上下させた。表情の薄い視線が、僅かに見上げる角度で僕を捉える。
「そうやって、これを見て自分の考えを持つことが、ぼくは変わった人だと思うんです」
「ああ…、成程」
 芸術品を目にして、それを言葉で表現する人はあまりいない。それが『芸術』であるという事実だけで、大概の人は納得してしまう。それ以上の解釈は必要ないからだ。これが何なのか、と問われたならば、美術品の一つである、という定義的な答えで十分なんだ。
 ある人が目の前にいて、その人がどういう人なのか、という問いを一々自問自答しないのと似ている。その当人が目の前にいれば、疑問の答えなど接しているうちに自然と肌で感じるようになる。それは言葉よりも明瞭に理解出来る事実であるし、表面上の嘘はない。
 三者三様、十人十色、あるものがそこにあるだけであった場合、それに対する印象は見る者により微妙に異なって当然だ。だからこそ、彼は本来言葉にする必要もないことを僕が考えていたことに、小さな不思議を覚えたのに違いない。
「芸術家では、ないと思っているよ。取り敢えず、今の所は創作活動はしていないし、経験もない」
「そうですか」
 再び彼は頷いたが、どうやら彼にとって僕は『変わった人』だと定義付けられたらしかった。
 …人は誰でも芸術家であり、同時にその芸術の評論家である。僕の持論だ。
「いつも来ているのかい、ここに」
 僕は訊いた。ここ、というのは、図書館ではなく、オブジェの前、という問いだった。
「好きなんです、これが」
 揺れを止めていた硝子玉を軽く弾いて、彼は呟くように答えた。己の感情を動かす代わりに、それを揺り動かす――、そんな錯覚を、一瞬、受けた。
「変わった人が作った、面白いのか分からないものを?」
 僕の再問は、少し意地悪だったかもしれない。少年の表情は一向に変わらなかったけれど。
「そうです」
「きみは、面白い人だね」
「貴方も、面白い人だと思いますよ」
 別段、面白くもなさそうな口調で彼は言う。
「ぼくなんかより、ずっと面白い人だ、きっと」
「そういう断言の仕方をされると、少し困るけれどね」
「だったら、撤回します。ごめんなさい」
 あっさりと謝罪された。
 謝罪なんてされないより、ずっと困ってしまった。僕は少し言葉を選んで、彼に申し出てみた。
「珈琲を飲みに行こうと思うんだが、きみも来るかい」
 …図書館の地下一階に、喫茶室があるのを知っているだろう? そこへ行こうと僕は思った。
 彼は少し首を傾げるような仕草をして、
「珈琲代で、ぼくを買うつもり、とでも?」
 そんな奇妙な質問をする。
「まさか。他にすることを思いついただけだよ。きみは退屈しないのかい」
 僕は即答し、僕たちは同時に笑った。
「そんな目的を抱いていたなら、僕は一番最初に無意味な自己紹介をして、それからきみの名前を訊いていた筈だ」
 そういう、下世話な生き方をしていない、つもりだ。
「それは、遠回しにぼくの名を訊いているんですか」
「まさか」
 僕は再び否定をする。
 他人を鼻に掛けるような人間ではないことがその短い会話で知れたが、それはもしかしたら彼は他人に対して興味を持たないということの、何よりの現れだったのかもしれない。或いはお互い、生きることに対して器用ではないということだ。
 だから、それ以降も僕は彼の名を訊こうとはしなかった。不思議なことじゃない。僕は街で会う人会う人に名前を訊いて回るような、変な趣味の持ち主じゃないからね。それだけのことだ。
 何と言うこともない、単純な根拠だった。僕は、彼のもっと他の表情も見てみたい、と思ってしまったのだった。その感情が、何に対して背徳的なのか考えることは躊躇われたけれど、そこに無味乾燥な思惑はあっても仕方がない。そう思うだろう?
「それとも、珈琲は嫌いかい」
「嫌いです」
 即答されて、けれど僕は落胆をしたわけではなかった。元々、深い意味があったわけでもない。
「でも、貴方は嫌いじゃない、と思う」
 意外にも、彼の口から奇妙な補足がされた。
「それは多分、光栄だと思ってもいいのかな」
「貴方が何を思うかは、貴方の自由です」
 僕の問いに返された言葉は、如何にも彼らしいものだった。彼らしい、と僕が思ったのは、僕の驕りかもしれないけれど、そう遠くないと思う。
「お喋りなんて、重要なところは一割にも満たないものだよ。今の会話だって、そうだ」
「…不思議な人なんですね」
 小さく溜め息をついて、彼は言う。
「誰が? 僕がかい」
「そうです。分かっているのに、だったら、どうしてわざわざそれをするんですか。無駄だと分かっているお喋りを」
「無駄なことを排したら、それ以外のものが無駄になってしまうだろう? 大切なのは、大切なもの以外の無駄な部分を共にした上で、その中から大切なものを拾い出す過程にあるのだと、僕は思うね。だって、最初から重要な部分しかないのだと分かっていれば、無駄なものも最初から存在しないじゃないか。そうしたら、何が重要なものなのか把握することも出来ない。ダイヤの原石は最初からダイヤだと分かっているけれど、その中で『ダイヤ』は一握りにも満たない。…そういうことだよ」
 数秒、沈黙があった。暫く、少年は僕の言葉を脳裏に反芻させていたらしく、やがて、ぽつりと言った。
「…やっぱり、貴方は不思議な方です」
 彼は視線を逸らし、ぽん、と振り子を揺らした。

 ――それから?
 それっきりさ。それから今日まで、彼と会うことはなかった。…いや、『彼』なんて他人行儀な言い方は、止めた方がいいのかな。
 明日は、どうだろうね。また、会えるかな。
 それは、僕次第でもあるし、きみ次第でもある。
 きみは那由多の中に生まれたばかりの『きみ』だから、戸惑うもの無理はないと思う。でも、きみもやはり那由多なんだ。それはもう覆せないことだし、事実をどう受け止めるかは、きみ自身に任せるしかない。『那由多』を知ることは、きみにとっても大切なことだから。
 …ああ、気長に行こう。時間は沢山ある。


2 >>

目次


Copyright(c) Kazui Yuuki all rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送