堕天使の原意


 成長しようとする昨日のぼくは、
『ぼく』ではないということなのだろうし、
 僅かにでも確実に成長をする明日のぼくも、
 今のぼくではないということになる。
 人は心身共に、日々成長を続けている生き物だ。
 ならば、こうしている瞬間にも、ぼくは成長し、
 新しい『ぼく』になろうとしているのだ。
 だから、『ぼく』という存在は、常に一定ではないことになる。
 これが続くのならば、ぼくの先には永遠に、
 今のこのぼくではない無数の『ぼく』が存在することになり、
 ということは……、
 「ぼくは常にぼくでは有り得ない」ということになってしまうんだ。
 こんなパラドックス……、論理矛盾について、どう思う?

     ■     ■     ■

 昼休み……、M高等学校、本校舎の屋上。
 世界は相変わらず平和だ。その定義が曖昧なのは誰しもが認めることを考慮しても、少なくともこの学校を発端に突発的なテロリズムが起きることはなさそうだし、何者かの無差別テロの準備が日本の何処かで秘密裏に進められていたとしても、今現在、それを何の変哲もない街なかの高等学校の生徒たちが知ることは出来ないだろう。
 現に、この学校でいつか、何処かで、大事件が起こるのではないかと日頃、恐れているような人間は周囲には見当たらない、ように見える。……同様に、屋上にいる自分以外の人間を虐殺してやろうなどと大それた考えを持った奴がいるかどうかは、普通の人間には見当もつかないだろう。他人の狂信について、現代の日本人は驚くほど鈍感だから。
 それこそが、外面的に言うところの虚構なのかもしれない。けれど、それこそが事実上の平和なのだ。だから、きっと、今日も惰性的にとはいえ、平和な日常は変わらずに過ぎていくのだろう、きっと。

 そんな、なんということもない、ある日の一幕。
 見上げてみれば、見事なまでのスカイブルー。これ以上ないくらいの晴天だ。
 仰げば尊し。
 唱歌の一説すら浮かんでくる。
 掌を太陽にかざしてみたくもなる。
 空を仰いで今更、尊いと思うこともないし、掌を太陽の光に透かして見ることもしないけれど、空を見上げるという行為には、意味などないようで、やっぱり気分が落ち着くような不思議な感慨がある。上に向かって、何処までも吸い込まれていくような、ほんの少しの怖さを伴って。
 クリアカラーの陶器で出来たかのような、頭上に広げられた青色の絨緞。
 教室ひとクラス分だから、丁度、テニスコートが一面分くらいだろうか。今は十数人が昼休みを思い思いに過ごしている。あちこちに置かれたベンチに座って――もしくは、ベンチに座る生徒の周りの床に、直に座り込んで――昼食を摂る者が、その殆どだ。
 辺りを見渡してみれば、フェンスに寄り掛かって談笑する者、給水塔で出来た日陰で読書――この場合、『本』は大抵、漫画雑誌を意味することになるが――をする者、庭ですればいいのにわざわざこんなところでキャッチボールをする者、と様々だ。
 校舎と比較した高さで言えば、ここは五階層にあたる。地上からは二十メートルと少しといったところだろうか。地表にいるよりも明らかに風は強く、しかし春の陽気に当てられる生徒たちにはむしろ心地良さが勝って感じられるだろう。
 通常の制服であるダークブルーのブレザージャケットに、ストライプのスラックスやスカート姿の生徒が大半だが、ジャケットを脱ぎ、ワイシャツ姿になって、風に身を当てている者の姿もちらほらと見受けられる。ライトブルーのタイやリボンが微風に揺れる。髪の長い生徒が偶然に見せる黒や茶色の舞いには、微妙なコントラストの流れがあって、未発達の芸術作品、とでもいうような瞬間がある。
 冬の名残というより、早くも初夏の雰囲気が漂い始める中庭を、落下防止のフェンス越しに見ることが出来るはずだ。切り開かれた土地に建設された校舎やその眼前のグラウンドから少し離れたところに、今も林のまま残された丘があり、そこも学生たちの休憩スポットとなっている。
 学校を建設する際に意図的に残された緑の土地は、自然を大切にする、という如何にもな大義名分なのかもしれないが、実際、学生たちの評判は悪くない。清掃分担に充てられた生徒の清掃の熱心さを見れば、どれほど皆に大事にされているかが伺える――夏には、皆が進んで清掃時間を待ちわびる――。
 四方を鉄製のフェンス――ライムグリーンの錆び止め塗装をされてはいる――に阻まれた柵、或いは檻のようにも思える空間。しかし、翼さえあれば、いつでも直ぐに天空へと飛び立てる、籠としてはなんとも頼りない空間。
 ある学校では、『屋上』は単なる物置と化し、ある土地では、さながら錆びた匂いのする廃工場の片隅のようであり、またあるところでは、水道管やガス管などの鉄パイプが床をのた打ち回り、地上と地下の定義が逆さまになっているかのような様相を呈する。一方でM高校のように、生徒たちに半ば開放され、気ままに昼休みや放課後の時間を過ごすことが出来るような、憩いの場として平穏を与える場として機能する。
 そんな不安定な雰囲気が秘められた、しかし表立っては誰が見ても平生な日常を演出する舞台。それが『屋上』というものの側面だろう。

 だから……、不安定な舞台で語られる、小さな劇なのだ、これは。


前編 >>

目次


Copyright(c) Kazui Yuuki all rights reserved.

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送